ぴたっと・ジャーナル

放送日:2010年9月16日(木)

謎の男装天才琵琶師『鶴田錦史』の生涯を綴る

ゲスト:
ノンフィクション作家
佐宮圭さん

 鶴田錦史(つるた・きんし)という名前をご存知ですか? 日本国内ではほとんど知られていないのですが、ヨーロッパやアメリカでは、日本の伝統楽器、琵琶の演奏者として有名で、1995年に83歳で亡くなっています。鶴田さんは、戦前からすでに琵琶の第一人者として活躍していた人なのですが、突然、琵琶の道を捨ててしまいました。さらに、結婚して子どもを生んだのですが、その後、子どもを捨ててしまい、男装して、女性であることも伏せるようになったのです。この謎の多い女性についての評伝『鶴田錦史伝〜大正・昭和・平成を駆け抜けた男装の天才琵琶師の生涯〜』を書かれ、このほど小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞した作家の佐宮圭(さみや・けい)さんにスタジオにお越しいただきました。

(マコーマック)鶴田さんが世界的に有名になるきっかけになった音楽があるんですか?

(佐宮)「そうです。昭和42年「ノヴェンバー・ステップス」という曲なのですけれども、武満徹(たけみつ・とおる)さんという日本が世界に誇る現代音楽の作曲家が作曲しました。そして、指揮者として小澤征爾さんが初演を振りました。それでニューヨークフィル125周年記念公演で、初めて世界に向かって演奏されて、その年の同じ初演の直後に録音されたのが最初です。名曲として、その後はヨーロッパで100回、あるいは200回と演奏されるのですが、その時の琵琶の奏者が鶴田錦史さんなのです」

(マコーマック)だから、国内ではあまり知られていないけれど、ヨーロッパ、海外では絶大なる人気があるのですね。

(佐宮)「そうです。確かに邦楽の天才琵琶師ではあるのですが、それよりも『Kinshi Tsuruta』という形で、世界の・・・。ただし『彼女』と私はいっていますけれども、今でもそうなのですが、海外では男性だと思われている、ちょっと謎めいた演奏者なのです」

(マコーマック)まずは鶴田さんという方がどんな人か、そこから紹介していただいて良いですか?

(佐宮)「鶴田錦史は、先ほどから申し上げていますように、琵琶の天才演奏者です。12歳の頃から弟子を取るような早熟の天才でした。世界的な芸術家でもあるのですが、それと同時に、日本では江東区に住んでいたのですけれども、毎年、高額納税者としてずっと新聞に載るような、大成功した実業家としての顔も持っているという、非常に多岐にわたる人生を歩んできた女性です」

(マコーマック)これは、なぜ今まで知られてこなかったのですかね?

(佐宮)「1つは、日本では、クラシックの現代音楽というものが、あまり人気がないという事情があります。もう一方で、この鶴田錦史さんご自身が、自分の半生を封印したといいますか、わざと隠したということが、彼女の知名度を上げなかった理由の1つになっています」

(マコーマック)なぜそんなに隠したかったのでしょうか?

(佐宮)「それが先ほどおっしゃっていた、鶴田錦史がなぜ琵琶を捨てたのか。それから、母であることを捨て、女性であることを捨てたのか。ここに、ちょっと関係してくる話なのですけれども・・・」

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(マコーマック)ここが一番気になりますもんね。このお話をたっぷり伺って良いですか。まず何故、琵琶を捨ててしまったのですか?

(井之上)天才だったのにね。

(マコーマック)12歳から弟子を取るくらいですよ。

(佐宮)「彼女が琵琶をやっていた時代というのは、今でいうポップスの代わりに琵琶が流行っていました。例えば、そば屋の出前の人が鼻歌で歌うくらいの。
 ですからお金もものすごく儲かったのですが、ただ東京に彼女が打って出ようとした時に、すでに東京には、水藤錦穣(すいとう・きんじょう)という、非常に美しい、まったく同じ年に生まれた琵琶の女性奏者がおりまして、この方が力を持っていたが故に、彼女は下に入らなければならなくなりました。
 お金がなければ、どんなに実力があっても上にいけない、弟子にならなければならないということに、彼女は非常に悩んでいました。それで、ものすごく一途な性格を持っていますから、彼女はこのままではいけないと思い立ちました。そこで、琵琶で成功するためには、まずお金を貯めたら良いのではないかということで、琵琶をいったん断念して、実業家の世界に入っていくということが1つ理由になっています」

(マコーマック)その水藤錦穣さんという方とは、良いライバル関係だったのですよね。実力は鶴田さんの方がはるかに上だったのですか?

(佐宮)「そうですね。少なくとも最初は、といういい方になりますかね。もちろん、水藤錦穣という女性は、後に『錦琵琶』の宗家となり、『錦琵琶』を打ち立てる人ですから、もちろん琵琶の実力もあるのですけれども、若い頃は、やはり鶴田錦史の方が上だったのではないかといわれています」

(井之上)それいつ頃の話ですか?

(佐宮)「大正時代ですね」

(マコーマック)琵琶を捨てて、女性を捨てた。母親として子どもも捨ててしまった。私も子どもがいますから、子どもを捨てるなんて、まずできないことですよ。身を切られるような思いですけれども、どうしてそういうことになったのですかね?

(佐宮)「これは彼女の女心といいますか。非常に強い思いのなせる業だったと思うのですけれども・・・。彼女は、自分のお弟子さんで非常にハンサムな良い男のお弟子さんがいたのですが、その男性と結婚するのです。結婚をして『これからたくさん子どもを生んで、私も幸せな人生を歩んで行くのかな』と思っていた矢先に、その夫に浮気をされてしまう。しかも、そのハンサムな夫の浮気相手がものすごくきれいな方だった・・・」

(マコーマック)ちょっと悔しいですね。

(佐宮)「そうですね。非常に悔しくて、おそらくそれが最大の理由だったのでしょうか。もう別れるという時に、たまたま最初の女の子がお腹の中に入っていた。なので、その子が生まれて60日も経たない時に、子どもがいなくて欲しがっていた弟子の夫婦に、その女の子をあげてしまって、結婚した男性と別れようとするわけです」

(マコーマック)『もうこんな人の子どもなんていいわ』と・・・。いたらいたで、旦那さんのことも思い出すでしょうし・・・。『じゃあ、あなたたちにあげるわ、面倒見てちょうだい』と、きれいに別れたのですか?

(佐宮)「いや。別れようとするのですが、ちょっと別れようか、別れまいかとかいう間に、もう1人子どもができてしまった。今度は男の子なのですけれども、その男の子ができて、生まれた時には完全に決心をして、旦那と浮気相手のその美人の方と2人を前にして、この男の子を渡して、『あなたたちで育ててください』といったのです。その女の人に、『旦那もあげるわ』という、気風の良い感じで渡して別れたといわれています」

(マコーマック)へぇー。

(井之上)江戸っ子っぽいということでは、片付けられないですね。

(マコーマック)2人の子どもさんを他の人に渡して、もう母というものを捨てる。女性であることを捨てる。これはなかなか女性としては、まずできない感じがするのですけれども、何故そういうところに至ったのですか?

(佐宮)「これも今までは、彼女が元々男性だったのではないかとか、いろいろいわれているのですけれども、私が10年間調べてわかってきたことは、彼女は本当に芯から女性なのです。芯から女性ですから、実は別れた後から、琵琶を捨てて事業に専念します。第二次世界大戦の前です。昭和の初期に事業に専念して、大成功するのですが、その間に自分が母親であるということを告げないまま、息子と元の夫と逢瀬をずっと続けていた。それは息子さんのお話で初めてわかったことです」

(マコーマック)その息子さんに取材を?

(佐宮)「もちろん取材をさせていただきました。その息子さんのお話によると、小さい頃から自分が母親だと思っていたそのきれいな女の人、それから美しい男の人に自分はぜんぜん似ていない。何故だろうと自分は思っていた。
 何故だろうと思っていたら、たまにお父さんが高級な旅館に連れて行ってくれる。そこにふと見たら、おばさんがいて、そのおばさんは自分にはかまわないけれども、お父さんとは消えていく。不思議なおばさんだなと、何年も何年も続けていたら、小学校5年生の時に、お父さんから『お前には本当のお母さんがいるよ』といわれて、初めて鶴田錦史がそのお母さんだったと知ったのです。それくらい鶴田錦史は、実は会い続けていたのですね」

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(マコーマック)やはり気持ちを切れなかったのですね。断ち切ることができなかったのでしょうね。

(佐宮)「その気持ちを断ち切るという意味があって、40歳目前の時に、いきなり『もう私、女捨てるから』と息子に宣言して、二度と女装しなくなる。まぁ、女装といういい方は・・・」

(マコーマック)普段の格好ですよね。

(佐宮)「はい。女性なのに、もう二度と女の格好はしないで、男性になるという形で・・・。おそらく元旦那への思いを、未練を完全に断ち切るための行為ではなかったかと私は思っています」

(マコーマック)その時の写真がCDのジャケットのところに・・・。これはもう晩年の鶴田錦史さんですね。相当お年を召した。

(佐宮)「そうですね。そちらのフランス版のCDのジャケットは、かなり晩年になってきますね」

(マコーマック)これを見ると、どこかまだ女性らしさが、なんとなくお年を召した女性かなと思うのですが。これを見た後に続いて・・・これはいくつぐらいの鶴田錦史さんですか?

(佐宮)「それが先ほど申し上げました、ニューヨークフィル125周年記念の直後に、小沢征爾が音楽監督をしていましたトロント交響楽団で初録音した、その録音風景です」

(マコーマック)お年の頃なら?

(佐宮)「56歳です」

(マコーマック)チャルさん。ここにいらっしゃるのが鶴田錦史さんです。56歳。眼鏡をかけた・・・。どう見ても男性じゃないですか。

(井之上)おじさんですね。

(マコーマック)しかも、恰幅の良い。ちょっと迫力のありそうな。見事に変身されていますよね。

(佐宮)「そうですね。ですから外国のファンの方々も、小沢征爾さんが、『ではミス鶴田に演奏してもらいます』というと、ざわざわしたといいます」

(マコーマック)ミスターだと思っていたら・・・

(佐宮)「それくらい男性だったそうです」

(マコーマック)鶴田さんの音楽はどんなものだったのですか?

(佐宮)「そうですね。鶴田さんが演奏した『壇ノ浦』という曲ですが、私はこれを聴いて、この人の取材をしたいと思ったくらい、琵琶の音の深さと歌の大きさ。どうやったらこんな音楽ができるのだろう、どんな人生を歩んだら、こんな音が出せるのだろうというところから、10年前に私が取材を始めるきっかけになったのです。まさに深さが、この曲を聴いていただけるとわかるのではないでしょうか」

(マコーマック)この運命を辿ってきたからこその演奏、歌声が出てくるのでしょうかね?

(佐宮)「そうですね。今年の4月に亡くなりました尺八奏者の横山勝也さんがおっしゃっていました。『どんなお弟子さんが出てきても、彼女の人生の音だから、誰も鶴田錦史の音をまねる弟子、超える弟子は出てこないだろう』と、かつておっしゃっていました」

(マコーマック)この『鶴田錦史伝〜大正・昭和・平成を駆け抜けた男装の天才琵琶師の生涯〜』、これで佐宮さんは小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞されたのですが、これはいつ私たちの手元に来る、読める時はいつでしょうか?

(佐宮)「今、賞はとりましたけれども、さらに取材や表現の部分を磨きまして、予定としましては、来年の春と考えております」

(マコーマック)そうですか。しかも、来年は鶴田錦史生誕100周年イベントもあるということですね?

(佐宮)「そうです。鶴田先生は、他の琵琶よりも若手を育てたという功績もありまして、第一線でやっている若手の方が非常にたくさんいらっしゃいますから、その方々が一同に会して鶴田錦史という芸術を、もう一度、皆さんに生でお届けすると企画していると聞きました」

(マコーマック)今、伺っただけでも、数奇な運命を本で読んでみたいなと思いました。来年の春出版予定だということなので楽しみにしたいと思います。

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