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08/08/12〜08/08/16 放送 バックナンバー
ラジオの戦争責任
ゲスト:PHP総合研究所主任研究員・坂本慎一さん
聞き手:戸石伸泰記者
ラジオメディアの影響力を利用した『玉音放送』
『聞いたことない』陛下の声を納得させたラジオの力
ラジオが戦前『最強』のメディアに育った経緯
『声の高い、演説のうまい』政治家が人気を博す!
ラジオがファシズムを生んだ?新しいメディアの危険性
今週、終戦から63回目の夏を迎えました。戦争を体験したことのない世代も、昭和天皇の玉音放送で、国民が一斉に終戦を知らされた、ということはよくご存知でしょう。でも、なぜ天皇陛下が自らの声でラジオで国民に終戦を伝えようとしたのか?戦争中、あるいは戦前にラジオは、どれだけ国民に影響力を与えるメディアだったのか?今私たちに想像できないことがたくさんあります。
今週は、今年「ラジオの戦争責任」という本を出版されたPHP総合研究所主任研究員の坂本慎一さんに、お話を伺います。
■ラジオメディアの影響力を利用した『玉音放送』

(玉音放送)
「朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ…」

 お聴きいただいているのは、昭和20年8月15日正午過ぎから行われました、昭和天皇のいわゆる『玉音放送』です。この放送をいま、みなさんにお聴きいただいているのですが、『ラジオの戦争責任』という本を出版されました坂本慎一さんにお話を伺います。
 今の有名なと言うにはあまりにも、われわれ日本人にとっての、戦後のスタートみたいなことになった、昭和天皇の玉音放送なのですけれども、日本人はあの、昭和天皇の声を、放送を聴いて、いま聴いていただいたように非常に音質も悪くて、ブツブツ言っているような受信状況も悪いのを、炎天下に聴いて、それでも戦争は終わったのだと思ったということですよね。みんながある意味、それでふに落ちると言うか、納得するということになった。
 そもそもこの玉音放送ですが、どんないきさつで放送されるようになっていったのですか?

 「一番最初の、そもそもから入りますと、まずこれはみなさんよくご存じのとおり、戦時中はうその放送が、虚偽の放送が非常に多かったと言いますか、だいたい半分くらいがうその放送。大本営発表なども含めて、半分以上うその放送をやっていたわけです」


 戦時下の放送ですけれどもね。それが実際は負けているのに、勝ったような放送をやっていたということですね。

 「それがやはり、心ある放送関係者の間には、『やはり本当のことを報道したい』ということがあったようなのです。その中で昭和18年に、日本放送協会会長になった下村宏という人が、『やはり本当のことを報道したい』と。しかし、いきなり本当のことを放送しても混乱をきたすかもしれない、ということで軍部がそういうことはやめろと言うのですが、だったら、天皇陛下に出ていただいて本当のことをしゃべっていただく、ということを最初に考えるわけです」


 なるほど。

 「天皇陛下でしたら、天皇陛下にうそを言っていただくというわけにはいきませんので、本当のことを言っていただく、ということで最初運動をするのですが、日本放送協会ですとか新聞社の上に、戦前、情報局という部署がありました。 情報局はマスコミを統括するところなのですけれども、ここが『天皇陛下に出ていただくなんて、そんなことはあり得ない』ということで、そのときは天皇陛下にラジオに出ていただくということはダメになったのですが、しかし下村はそれであきらめずに、いろんな人に『こういうふうにやるべきだ』ということを周知徹底させました。
 やがて昭和20年に、鈴木貫太郎内閣が発足したときに、下村は内閣情報局総裁として入閣したのです。そうなると情報局総裁ですから、一番上ですので」


 権力を握りましたから。

 「そこで天皇陛下にも直接お会いして、8月8日なのですが。それで、昭和天皇に『ぜひラジオに出てください』と申し上げて」


 直接上奏したのですね。

 「そうですね。『この戦争はどう考えても勝つ見込みはない』といったことも申し上げて、その流れで天皇陛下がやがて、いわゆる『御聖断』を下されるということですね」


 なるほど。でも、なぜラジオだったのか。例えば天皇陛下のお言葉を文章にして新聞に載せるとか、そういう形に国民に周知する手もあったと思うのですけれども、いきなりラジオだったわけですよね。なぜラジオだったのでしょうか?

 「やはり当時、一般の人にとって非常に影響力があったのは、ラジオだったと考えていいと思うのです。それで、少なくとも、下村がなぜラジオを使おうと思ったかというと、彼は朝日新聞の副社長をやっていましたし、その後日本放送協会の会長もやりましたので、メディアの発信する側にいたわけです。
 両方やってみて、やはりラジオの方が全然影響力が違うということが、彼はもうわかっていたのです。
 ですので、ラジオをまず使う。新聞はその補助として、新聞にももちろん事実を載せますので、この2つをうまく組み合わせてやるのがいいだろうと。実際、8月15日の放送のすぐ後に新聞が届くように手配しまして、それでラジオをうまく利用して、世論を終戦に向かわせると、『戦争は終わりだ』と周知徹底させるという作戦を考えたということです」

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■『聞いたことない』陛下の声を納得させたラジオの力

 坂本さん、玉音放送がラジオから流れた。そのことを国民はいつ知ったのですか?どうやって知ったのですか?これは?その日に?

 「まず下村が、昭和20年の4月7日に情報局総裁として鈴木内閣に入るのですが、その20日後に彼は国民にあいさつするという感じでラジオに出るのですが、そこでまず彼は『天皇陛下にラジオに出ていただく』ということを宣伝するのです」


 下村さん自身が?

 「その流れで、本当に多くの人が信じたのかどうかは別としまして、聴いていた人は『そういう手もあるのか』という感じで聴いていたと思うのです。
 そのあと国民は、ずっと水面下で終戦工作があったことは知らないのですが、8月14日の夜9時に、『明日(15日)正午、重大放送がある』とラジオが流すのです。
 次の8月15日の朝、今度は新聞が『特報』というのを出すのです。これは『号外』の上ですね。これを出しまして『今日正午に重大放送がある』と。さらに8月15日朝7時21分〜30分に2回『正午に今日、天皇陛下の放送がある』とここでも『天皇陛下の放送』とはっきり言うわけなのです」


 いわゆる朝7時のニュースですね。時間で言うと……。

 「これで『正午に聴かなければならない』ということで聴いたと考えていいと思います」


 なるほど。でも昭和天皇は、直接しゃべる。その声が直接放送される、とは言ってなかったのではないですか?それともそう言っていたのですか?

 「『天皇陛下、御自ら放送あそばされます』と言っていますので」


 では昭和天皇の声が聴こえるということはわかったのですね?当時のことを考えておくと、当時の放送メディアというのは、このいまのNHK、当時は別の名前だったのですけれども、このラジオ放送1波だけだったのですね?

 「そうですね」


 もちろんテレビもないし、放送メディアというのはラジオ1局だけだったという状況を、いまの方はまず考えておいていただいて、そういう中でもう一方で天皇という存在が当時、神様ですよね。姿もきちんと見る人はそんなに多くない。ましてや声なんて誰も聴いたことがない。おそらく側近以外は。そういう時代ですよね。
 そこでこれは昭和天皇の声だ、と玉音放送が流れたときに、みんなが納得したのでしょうか?これは坂本さんに聴いてもどうかと思うのですが(笑)……。

 「まず、玉音放送は8月15日正午ですので、時報が鳴りまして、そのあと日本放送協会を代表する和田信賢(しんけん)さん(アナウンサー)が、この人が『ただいまより重大なる放送があります。全国聴取者の皆様、ご起立を願います』とこれは重大放送だと言います。
 そのあと、下村情報局総裁が出てきまして『天皇陛下におかせられましては、全国民に対しかしこくも御自ら大書をのらせたまうことになりました。これより慎みて玉音お送り申し上げます』とはっきり言うわけです。
 この下村と和田はラジオによく出ていますし、和田アナウンサーも毎日のように出ていますので、この2人の声は国民はほとんど知っていたと考えていいと思います。国民がよく知るその2人が、『これが天皇陛下の声です』と紹介しているわけです。そのあと天皇陛下の声ですから、全然知らない人の声だと『本当かな』と思う人もいたかもしれませんが、2人の声をみんな知っているということが大きいと思います」


 信用のおける2人が言って、『今から天皇陛下の声ですよ』と言われた。そこでこれが昭和天皇の声なのだということで、納得したということですか?

 「そうですね。もともとラジオは当時の人はそんなに疑って聴いていないということが大きいと思うのですね。ラジオの権威といいますか、影響力は今よりもずっと強いといいますか。ラジオの声はお上の声ということですね。
 えらい人が何かお話ししているので、それはちゃんと聴かなければいけないという感じで、いまこの番組を聴いておられる方は、別に正座して聴いておられる方はいないと思うのですけれども、当時はラジオの前で正座してちゃんと聴くということが結構あるのです」


 いまは、この時代は、ラジオはむしろテレビに比べて『ながらメディアだ』なんて、仕事しながら、勉強しながら聴くというのが取り柄というか、特徴があるのですが、違ったのですね、全然。

 「また、ラジオを聴きながら思い出し笑いをしたら『しゃべっている人に失礼だから、ちゃんと聴く』ということが当時の一般的な聴き方だったのです」


 大勢で1つのラジオを聴くから?

 「そうですね」


 思い出し笑いしたり、皮肉で笑ったり、妙なところで笑ったら、周りの人が『なんだあいつは、けしからん』となっていたわけですか?

 「そうです」

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■ラジオが戦前『最強』のメディアに育った経緯

 坂本さん、戦前・戦中のラジオは日本人にとって非常に権威あるものだったというお話しでしたが、また玉音放送に戻りますが、『昭和天皇の声だ』と国民が納得して聴いたけれども、非常に難解なお言葉ですよね。あれを聴いて国民は戦争が終わった、となぜわかったのでしょうか?

 「昭和天皇の声の前後に『君が代』が流れるのですが、その君が代が流れた後、下村が『慎みて天皇陛下の玉音の放送を終わります』と言うのですね。そのあとに和田アナウンサーがもう1回天皇陛下の言葉を読み上げたり、それを受けて内閣はどうだったかとか、『ポツダム宣言』とは何かと全部読み上げるのですが、それに付け加えて解説をするのです。
 そこでちゃんとわかりやすいように、要するに『戦争は終わりだ』と、『天皇陛下はもう戦争を終わらせるということで、今回放送あそばされた』ということを言うのです。そこで初めてわかった人が多いのじゃないかと思います」


 やっぱり。

 「その時スタジオの中では、スタッフがみな泣いていたそうで、和田アナウンサーもつられて泣きながらといいますか、おえつといいますか、つっかえながら読んでいたそうです」


 そうか、昭和天皇の声は録音・レコードですけれども、和田アナウンサーは生放送をしていたのですね。

 「普段は原稿をつっかえずに読む人なのですが、もう半分泣きながら原稿を読んで、しかも戦争は終わったというその雰囲気ですね。それも国民にそのときに伝わっていると思うのです」


 本来玉音放送とは、戦後こうやって伝わっていくときに、昭和天皇の声の部分だけなのですけれども、和田アナウンサーの解説とか、下村さんの話とか、そういうものもひっくるめての玉音放送であって、そこには生放送で行われていた、おっしゃっていたように声の調子とか、泣き声になっていったとか、そういう音声言語の特徴ですよね。感情も一緒に伝わっていったということですね。

 「そうですね」


 ラジオが日本人にとって、当時は正座をして聴くようなメディア・存在だったということなのですけれども、そもそも、ラジオというのは大正のころですよね、日本で広まっていく・放送が行われるのは。どんなことがきっかけで、どんなふうに広まっていったのですか?

 「放送は大正14年、1925年3月から始まるのですけれども、最初のうちは本当にいろいろ試しながらやっているという感じで、やはり欧米の事例にならって日本でもやろうというのが一番の動機だと思うのです。
 最初は、欧米はほとんど音楽の放送、半分以上音楽ですので、日本でも音楽からやろうということだったのですが、どうもやはりうまくいかない。放送する側もそんなに知識がないといいますか、聴く方も耳が肥えていないということで、ではどういう放送がいいのかということで、最も一般受けして、それでいて低俗でなくてということで、お坊さんを連れてきて、一般向けにしゃべってもらう。これが一番受けもいいですし、文化としてもそんなにレベルが低くないということでした」


 いわゆる説法ですね?

 「はい。それがやはり手っ取り早いといいますか、一番無難だということで、だいたい定着していったようです」


 当時、人気パーソナリティみたいな方々はいたのですか?

 「一番有名な人は昭和9年にラジオに出て大人気を博した友松圓諦(ともまつえんたい)という人がいます。
 この人はヨーロッパに留学もしてちょっとハイカラな、お坊さんといっても髪の毛もありますし、非常に2枚目で、しゃべりが非常にうまいということで、この人の放送は大人気を博していたと言われています。
 この人は基本的に、お経の講義をやっているのですけれど、これは今日だとちょっと考えにくいと思うのですが、それを放送したときにものすごく反響があって……」


 やはり当時の日本人は、そういう説法であるとか、哲学的なこととか、人生とか、社会問題とか、時評とか、そういうことが好まれて聴かれたということですか?

 「放送自体が文化水準を上げるためものというように、最初から決められていましたので、あまり低俗なものは流さないとなっていたのです。もし、もっと低俗なものを流していたら、それはそれで別な人気が出たかもしれないのですが、それは最初からやらないということでラジオが始まっていますので、その枠の中で一番面白いということはやはりお坊さんの話だったみたいです」


 文化的にそうですよね。当時の日本人、全員が裃(かみしも)をつけて、ガチガチのまじめな人ばかりだったわけではないし、もちろん歌舞音曲とか、落語とか、漫才とか、歌舞伎とかもあったのですけれども、放送そのもののコンセプトがそうではないのだという、これはお上が取り仕切っている放送だから、そうなってしまっていたと。その中で人気があったのは、そういう説法だったと?

 「そうですね」

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■『声の高い、演説のうまい』政治家が人気を博す!

 坂本さん、ラジオの戦争責任という本でも書いていらっしゃるのですが、当時の日本人にとって権威のあるメディアだったラジオ。人気のあるメディアだったラジオに、政治家とか、軍人とかが出演するような、当初はお坊さんの説法で人生論とかを放送していたのですが、時局や政治の話をするようになっていった。これはそういう政治家、軍人がラジオに出始めるというのは、やはり戦争が始まってからですか?

 「いえ、必ずしもそうではなくて、放送が始まったころから軍人なり、政治家は出ていました。ラジオには出ていたのですが、やはりラジオに出ますと、有名になりますし、またラジオに出たというだけで、えらい人だと思う人も中にはいたわけで、必ずしもラジオの影響力をちゃんと最初からわかっていたわけではないです。
 どちらかというと、ラジオに出ているだけで人気が出てしまう人は、『なんであいつだけ人気があるのだ』と政治家にしろ、軍人にしろ、周りが批判、不思議がるということが、割と長かったのです。
 だんだんラジオ受信機が普及しまして、国民に影響力があるということがわかってきますと、だんだんそれを意図的に利用する政治家が出てくるという感じですね」


 なるほど。当時は東條英機(とうじょうひでき)さんとか、戦後は戦犯ということになったわけですが、彼なんかもラジオにちょくちょく出て、演説がうまかったということを本に書いていますよね。

 「近衛文麿(このえふみまろ)、松岡洋右(まつおかようすけ)とか」


 松岡洋右外務大臣、日本・ドイツ・イタリアの三国同盟の締結に走って、その前に国際連盟脱退の際、全権大使で行ったのですね。それで、結果として脱退してしまうという人物です。

 「松岡洋右も国際連盟で満州国を認めるのかどうかということで、ずっと国際連盟でやりとりをするのですが、その状況が逐一日本でも新聞なり、ラジオなりで伝えられるのですが、毎日伝えられていたというだけで、『松岡は非常にえらい人だ』と当時思われていたようですね」


 その前後から彼はラジオに出てしゃべっていて、非常に演説がうまかった。人をひきつける人だったということなのですが、実際どんなしゃべりをしていたのかということを聴いていただきたいと思います。
 これは国際連盟脱退から1〜2年後の日本に帰ってきてからのインタビューの声ですね。お聴きいただきましょう。

(松岡洋右の演説)
「一番大きな目的は、何とかして日本精神を世界に徹底さす。ために、一歩でも踏み出しえたらばということであります。これが私の終始一貫、一番大きな目的としておったところであります」


 こういう口調で、こういうおしゃべり・演説が当時、逆に人をひきつけた。『松岡よく言った』ということですか?

 「そうですね。彼は声のトーンがちょっと高めなのです。やはり近衛文麿とか、東條ですとか声のちょっと高い人が当時人気があるのです。
 これは、いろんな解釈があると思うのですが、1つは戦前のラジオは真空管ラジオが主流です。いまのラジオはほとんど原音で、私がいましゃべっている声は私と直接会って聴いた声と全く同じだと思うのです」


 そうですね。ほとんど変わらない。

 「ですが、戦前の真空管ラジオは全く同じではなくて、ちょっと変わった声になるといいますか、声のトーンが高いほうが鮮明に聴こえたようですね」


 いわゆるマイクに乗りやすい声だった?

 「これはその前の仏教の説法の時代もやはりそうでして、声のトーンが高い人に人気があったということは一般的に言えると思います」


 東條さん、松岡さんといった、高いトーンではっきり物を言って、『松岡よく言った』と大向かいのかっさいを受けるようなしゃべりがあった。これは相当な影響力があったわけですね。

 「そうですね。当時、いわゆる日本はファシズムになっていくわけで、ドイツもそうなのですが、ファシズムというのはやはりラジオ抜きには語れないのではないかと思うのです。
 逆にラジオ抜きにファシズムをやってやろうと思ってもうまくいかないと思うのです。独裁者ですとか、政治家が、国民に直接声が届くようなシステムがないと、政治家に国民がひきつけられるというのは難しいと思うのです」

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■ラジオがファシズムを生んだ?新しいメディアの危険性

「いままでファシズムというと、ラジオとは必ずしも関係ないといいますか、ファシストがラジオを利用したくらいにしか思われていないのですが、逆にラジオ抜きでファシズムを仮にやろうとしてできるか、それは難しいだろうと思うのです」


 なるほど。独裁者の思惑を、国民に広く徹底させると。しかも、そこに疑問というか、疑義をはさませないようにしていかなければならないわけですね?

 「そこに言論統制をもちろんしまして、そんなに甲論・乙論みたいな感じで出すのではなくて、甲論なら甲論1つだけという感じで徹底的に押していこうといいますか…」


 ラジオというのは感情も伝える。そこは新聞のメディアとはちょっと違って活字にはない。声とともに感情も伝わっていくというところもあったかもしれませんね?

 「その人の謦咳(けいがい)に接するといいますか、じかにその人の話しを聴くというのはリアリティがあるといいますか、直接言われているような感じになると思うのです。
 東條英機の声は当時ほとんどの国民が聴いているわけで、言ってみれば東條から直接命令される、指導されるという感覚があったと思うのです」


 なるほど。当時はいまと違って、いまは多メディアの時代ですから、逆に権威というものが、あまりにもメディアがリーダーと国民を密着しすぎてしまって、権威が相対的に下がってしまった時代だと思うのですが、当時は逆にそれが親近感を持って、『この人のためなら』みたいな空気を作りやすいということなのでしょうか?

 「まず、ラジオに似たようなものが過去に例がなかったということが一番大きいと思います。突然そういう状況になるというか、大正14年に放送が始まって、玉音放送までわずか20年。
 わずか20年の間に、玉音放送はほとんど国民全員が聴いたわけなのですが、20年間に大きな変化があったわけです。言ってみれば免疫がなかったというか、初めて出てきたラジオに対して、ちょっと斜に構えて聴くとか、距離をとって聴くというのは、いきなりですので、できなかったと見るのが一番客観的な見方ではないかと思うのです」


 坂本さんが指摘されるファシズムとラジオのお互いがそうやって醸成していったというのは、非常に興味深いご指摘ですし、現代という時代に今度置き換えてみると、さっき私は多メディアの時代で、権力者と国民との距離が縮まって、相対化されて権威が下がっているのじゃないかと申し上げたのですけれど、必ずしもそうならないという部分も、現代にひるがえって考えるとあるのかもしれませんね。

 「メディアは本当に『どう利用するか』、ということと、『受け手がどう受け取るか』ということは、どうも一概に言えないようですね。こういうふうに利用すればこう受け取るというのが、どうもそのほかの状況にもよりますし、国民性にもよりますので、他の国でやったのと同じように日本でやっても、同じ反応をすると限らないということもあるので、本当に歴史から学ぶしかないというか、やる前からこうやったらこうなるだろうということが、なかなかわかりにくいという面はあると思います」


 現代はインターネットの時代なのですが、過去の、戦前、戦時中のラジオをふまえて、坂本さんはいまの時代のメディアのありようというのは、どんなふうに感じていますか?

 「いまの時代のインターネットがほとんどの家庭にあると思うのですが、これは20年前には考えられなかった状況だと思うのです。さらにこれからも、いわゆるユビキタス社会になるなんて言われていますけれども、全く新しいメディアがまた出てくるかもしれないですね。
 新しいメディアが出てくるということに対して、どうも良い面ばかりが言われますが、そういったもしかしたら社会に大きな影響を与えて、悪い方向に向かわせるかもしれないという警戒ですね。新しいメディアが出てくるということに対してちょっと注意するというか、そういったことはこれからも大切になるのではないかと思います」


 なるほど。それと、現代のラジオはそういう過去の教訓をどのように生かしていくべきでしょうか?

 「1つはやはり、なるべく多様なチャンネルがあることが望ましいということでしょうね。戦前は1つしかなかった」


 1チャンネルしかなかった。

 「たくさんあることによって始めていろんな意見を参考にできるということがあると思うのです。
 それで、もう1つはラジオならラジオだけに頼りすぎずに、ラジオで聴いたことを自分で確かめると。例えばラジオで『この土地は非常に良い土地だ』と言われて、そのままそうだと思わずに何かの機会に行ってみて、自分の目で確かめる。
 そのきっかけにラジオを聴くとかすればいいのですが、聴いてそのままその通りだとなってしまうと、要するにラジオに影響を受けているだけになりますので、自分でちゃんと考えるなり、調べるなりということもふまえた上でラジオと付き合っていくということが大事なのではないでしょうか」

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