|
「いままでファシズムというと、ラジオとは必ずしも関係ないといいますか、ファシストがラジオを利用したくらいにしか思われていないのですが、逆にラジオ抜きでファシズムを仮にやろうとしてできるか、それは難しいだろうと思うのです」
なるほど。独裁者の思惑を、国民に広く徹底させると。しかも、そこに疑問というか、疑義をはさませないようにしていかなければならないわけですね?
「そこに言論統制をもちろんしまして、そんなに甲論・乙論みたいな感じで出すのではなくて、甲論なら甲論1つだけという感じで徹底的に押していこうといいますか…」
ラジオというのは感情も伝える。そこは新聞のメディアとはちょっと違って活字にはない。声とともに感情も伝わっていくというところもあったかもしれませんね?
「その人の謦咳(けいがい)に接するといいますか、じかにその人の話しを聴くというのはリアリティがあるといいますか、直接言われているような感じになると思うのです。
東條英機の声は当時ほとんどの国民が聴いているわけで、言ってみれば東條から直接命令される、指導されるという感覚があったと思うのです」
なるほど。当時はいまと違って、いまは多メディアの時代ですから、逆に権威というものが、あまりにもメディアがリーダーと国民を密着しすぎてしまって、権威が相対的に下がってしまった時代だと思うのですが、当時は逆にそれが親近感を持って、『この人のためなら』みたいな空気を作りやすいということなのでしょうか?
「まず、ラジオに似たようなものが過去に例がなかったということが一番大きいと思います。突然そういう状況になるというか、大正14年に放送が始まって、玉音放送までわずか20年。
わずか20年の間に、玉音放送はほとんど国民全員が聴いたわけなのですが、20年間に大きな変化があったわけです。言ってみれば免疫がなかったというか、初めて出てきたラジオに対して、ちょっと斜に構えて聴くとか、距離をとって聴くというのは、いきなりですので、できなかったと見るのが一番客観的な見方ではないかと思うのです」
坂本さんが指摘されるファシズムとラジオのお互いがそうやって醸成していったというのは、非常に興味深いご指摘ですし、現代という時代に今度置き換えてみると、さっき私は多メディアの時代で、権力者と国民との距離が縮まって、相対化されて権威が下がっているのじゃないかと申し上げたのですけれど、必ずしもそうならないという部分も、現代にひるがえって考えるとあるのかもしれませんね。
「メディアは本当に『どう利用するか』、ということと、『受け手がどう受け取るか』ということは、どうも一概に言えないようですね。こういうふうに利用すればこう受け取るというのが、どうもそのほかの状況にもよりますし、国民性にもよりますので、他の国でやったのと同じように日本でやっても、同じ反応をすると限らないということもあるので、本当に歴史から学ぶしかないというか、やる前からこうやったらこうなるだろうということが、なかなかわかりにくいという面はあると思います」
現代はインターネットの時代なのですが、過去の、戦前、戦時中のラジオをふまえて、坂本さんはいまの時代のメディアのありようというのは、どんなふうに感じていますか?
「いまの時代のインターネットがほとんどの家庭にあると思うのですが、これは20年前には考えられなかった状況だと思うのです。さらにこれからも、いわゆるユビキタス社会になるなんて言われていますけれども、全く新しいメディアがまた出てくるかもしれないですね。
新しいメディアが出てくるということに対して、どうも良い面ばかりが言われますが、そういったもしかしたら社会に大きな影響を与えて、悪い方向に向かわせるかもしれないという警戒ですね。新しいメディアが出てくるということに対してちょっと注意するというか、そういったことはこれからも大切になるのではないかと思います」
なるほど。それと、現代のラジオはそういう過去の教訓をどのように生かしていくべきでしょうか?
「1つはやはり、なるべく多様なチャンネルがあることが望ましいということでしょうね。戦前は1つしかなかった」
1チャンネルしかなかった。
「たくさんあることによって始めていろんな意見を参考にできるということがあると思うのです。
それで、もう1つはラジオならラジオだけに頼りすぎずに、ラジオで聴いたことを自分で確かめると。例えばラジオで『この土地は非常に良い土地だ』と言われて、そのままそうだと思わずに何かの機会に行ってみて、自分の目で確かめる。
そのきっかけにラジオを聴くとかすればいいのですが、聴いてそのままその通りだとなってしまうと、要するにラジオに影響を受けているだけになりますので、自分でちゃんと考えるなり、調べるなりということもふまえた上でラジオと付き合っていくということが大事なのではないでしょうか」
|