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スペース 3月11日第96回
〜今週の米朝よもやま噺は、文楽の人形遣い、三世桐竹勘十郎さんです。聞き手は大阪ABCラジオのプロデューサー、市川寿憲です。2月27日ABCのスタジオで収録しました。〜
聞き手  桐竹勘十郎さん。三林京子(桂すずめ)さんの弟さんで、文楽の人形遣いの中心のひとりとして、第一線でご活躍されています。よろしくお願いします。
勘十郎  よろしくお願いします。
米朝  何歳からこの世界に入りはったんですか?
勘十郎  入門して今年で40年。ですから14歳で入門致しました。
米朝  ほぉ〜。もうせやけどそれ以前に楽屋は始終、来てはるやろし...
勘十郎  そうですね。小さい頃から母に連れられたり、姉と二人で子供の頃からですけどね...
聞き手  お父様も文楽の人形遣いで、人間国宝の二世桐竹勘十郎さん。小さい時から文楽は普通の存在として...。浄瑠璃も人形も...。
勘十郎  もう自然に見たり聞いたりしてるんですけど...
米朝  それはもうなぁ〜。いつからと分からんぐらい馴染んではるわけですわなぁ〜。
勘十郎  しかしなんか分からへんかったですね。親の仕事が...、あれが仕事なのか何なのか...
聞き手  ほぉ〜
勘十郎  これは姉も言うてますけどもね、ほんま小学校の頃聞かれても分からへんかった。一度ね学校で尋ねられたことがある、家の職業の調査みたいのがあって。先生が「お父さんのお仕事なんですか?」って。一人ずつ言うんですけどね、僕、なんか応えられへんかって「なんか人形持ってしてますねん」って言うてね(笑)
聞き手  (笑)
勘十郎  姉も同じこと言うてましたですね。なんて言うていいか、他人に言うときに...
米朝  『人形遣い』ということも知らん...
勘十郎  そういう言い方も知りませんでしたし、それでちょっと困ったことがありました。いつも人形持って遊んでる、と言うとあれですけど...
二人  (笑)
勘十郎  仕事にはとても思えなかったですね。
聞き手  当時、劇場は道頓堀の朝日座ですよね。まだ国立文楽劇場が出来ていませんから。
勘十郎  本当に遊びに行ってただけで...
米朝  (笑)
聞き手  でも小さい時から朝日座、文楽座に出入りされてたということは、自然に文楽の人形遣いになろうと思うてはったんですか?
勘十郎  いえ、そうではないんですけどね。ただ遊びに行って、楽屋でも他の人達に可愛がって頂いたんですけども、なんででしょうね、もちろん父も言いませんでしたしね、「後継げ」とか。ま、(文楽という世界は)世襲ではありませんし。よっぽど修行が厳しいんで、しんどい目をささんとこと思うたのか。「やれ」とも言いませんでしたし。ですから私もやるつもりなかったですけどね(笑)
聞き手  またお父さんも戦後、三和会の方お行きになったり、大変な苦労をされてますしね。先日、文雀師匠も仰ってましたけど、「食えたり、食わなんだりやったらええけど、食わなんだり、食えなんだりやった」と。
米朝  まぁ〜一番大変なときやったんやろうねぇ〜
聞き手  ですからやっぱり、文楽という芸はすごく大切やし、なんとかして欲しいけども、この苦労をね...
米朝  国がやっと、どういう形にしろ、手を差し伸べてくれましたけどな。それにしたって、給料を保証するというところまではいかなんだんやないですかな。
勘十郎  そうですね。なかなか厳しかったみたいですね...
聞き手  小さい時は、家でもそんな感じを受けられましたか?
勘十郎  ええ。しょっちゅうとにかく忙しくて、家にいないのかなと思うたら、そうでもなかったみたいですね。仕事がない時は、本当に仕事がなかったと言うてますし、何もかも手作りでチラシも自分らで、うちの師匠なんかでも、昔はガリ版でね、公演のチラシをみんなで手分けして刷って、それをお客さんのところへ配りに歩いたという。
聞き手  今仰った『うちの師匠』というのはお父さんではなくて、今の吉田蓑助さん。お父さんの弟弟子になるわけですね。
勘十郎  そうです。

聞き手  (勘十郎さんは)芸事よりもマンガが大好きやったそうですね。
勘十郎  そうですねん。実は漫画家志望なんですけども(笑)マンガばっかり描いてたんです。もう先生に怒られたり...。
聞き手  ということは授業中ノートにマンガばっかり描いてたんですね。
勘十郎  教科書も、提出用のノートも全部マンガ描いてしまうんですよ。
米朝  (笑)
聞き手  へぇ〜、よほどお好きやったんですね。
勘十郎  勉強が嫌いでね、自分でストーリーを考えてね...
米朝  ほぉ〜
勘十郎  友達と一緒に絵を描いて物語を作って、クラスのみんなで回し読みしてという。それで喜んでくれるのが嬉しいんですよ。
米朝  いや〜、評判良かったやろな。
勘十郎  いや、勉強出来へんし、それぐらいしか存在してる価値がなかったんで(笑)
聞き手  いえ、いえ。

米朝  文楽を見に行くという、お客の立場から見るというのはいつ頃からですかな。
勘十郎  ちゃんと文楽も、前から見ないかんなと思うてる頃に、「手伝わへんか」という話が来ましたんで。それが昭和41年5月。13歳の時ですね。この時に『絵本太功記』という時代物のね。あの夕顔棚の、『尼ケ崎、十段目』が有名なんですけど、これの通し狂言をやろうと。文楽協会が出来て3年目なんですけど、明治何年からですかね、60年ぐらい出てなかったんです。通し狂言で、全部。最後の大徳寺焼香場までやろうと。しかし人形がいっぱい出てくるんです。鎧人形がずらっと並びますんでね。人形遣いが当時27〜8人やったんですかね。
二人  ほぉ〜
勘十郎  それではとても手が足りないので、誰か若い人を手伝いに、ということで集められたんですけどね。
聞き手  文楽の関係者のお子さんとかに手伝うてくれへんかと...
勘十郎  そうですね。まぁ〜特殊なもんなんでね、一般の人からというわけにはいかなんだんでしょうか、誰ぞ知り合い、家族でいませんかということやったらしいんで、私と私の友達が一人行きましたですかね。後、亡くなりました玉昇師匠の家の近所の子供が3人。近鉄沿線でございまして、うちが南海沿線(笑)これで5人。小道具をやっておられた方の息子さん、この方高校生でしたけどね、で6人集まりまして、お手伝いをすると。
聞き手  その時はお父さんから頼まれましたか?
勘十郎  ええ。「やってみいへんか」と言われました。
聞き手  ということは初めてお父さんが「やってみいへんか」と仰ったわけですね。
勘十郎  人形遣いというより雑用ですからね。軽い気持ちでこっちも...。どうせ勉強嫌いやし...
聞き手  (笑)
勘十郎  放課後ですね、学校終わってから朝日座まで行くんですけどね、黒衣を借りて、頭巾を借りて、下は学生ズボンのままで...
聞き手  あ、黒ですもんね。
勘十郎  で舞台のいろんなことをお手伝いしたんですけどね。それが最初です。
聞き手  それがきっかけですね。
勘十郎  きっかけですね。でこの時、僕は初めて舞台の裏へ回って、みんなが人形を遣うてるところを目の当たりにして...。それまでは楽屋とかは行ってたんですけど、その時、初めて父の職場を見たなという気がしましたですね。
聞き手  どうでした、お父さん、間近で見はって?
勘十郎  父も含めて、いつも兄ちゃん兄ちゃん、言うてる人形遣いの人達がそれこそ真剣にねぇ、汗かいて...。で大道具さんとか、他の裏方さんもワっと動いてるのを見て、これはすごいことしてるねんなと。いままで人形持って、何してんのかなというようなイメージしかなかったんですけどね、この時初めて、職場を見たなという気がしましたですね。
米朝  裏方から何から...
聞き手  人形一つでも3人で遣うわけですからね。それにいろんな方の力で成り立ってるもんですもんね。
米朝  それは太夫や三味線はもとよりのことやけどね。雑用係みたいな裏方さんの、あれも大変な仕事やしな。

聞き手  でも勘十郎さんにその気がなければ、お手伝いが終われば、またマンガ好き少年に戻るはずやったのに、そうやなかったんですね。
勘十郎  そうじゃなかったんです。大阪の公演だけ学校が終わったら手伝ってねという約束やったんですけども、千秋楽が近くなるとみんなから「また来てな」「次もまた来てな」と言われて、うどん食べさせてくれて...。道頓堀の更科で、「うどん、好きなやつ何でも食べ」とかね、お菓子くれたりね、なんやかんやいうては...。いまではそんなことではちょっと、釣られへんねんけど当時としてはね、なんかみんな妙に優しかったですね。
聞き手  こいつは離したらあかんぞというのがあったんでしょうね。
米朝  いやほんまに、ほんまに若い人おらなんだから。
勘十郎  僕らから一番近い先輩までというとね、10年空いてました。その間に入ってきはったらしいんですけども、辞めはったりして。だからもうみな10年選手の足遣いばかりで。だから次ぎ入ってきいへんかったらいつまでも足遣いですから、あの時妙に優しかったんはそういうのもあったんでしょうね(笑)だから次も行きました。
聞き手  徐々に好きになっていったんですか?
勘十郎  そうです。それは一番近くで動くのが足なんでね、その足がね、先輩がすごいんですよ。生きてるんですよ、足が。
米朝  足が...
聞き手  あれは足を動かしてるだけではなくて、足拍子を踏むんですよね。
勘十郎  足拍子を踏みながら、苦しい格好でね。
聞き手  うずくまるような格好で...
勘十郎  それが面白うて、なんであの足が人間みたいに動くんやろというのがね。ああいうの早くやってみたいとね、だんだん芽生えてくるんですよ。それが半年ぐらいやってると、だんだん自分に向いてるんやないかなとか。今はこうやって人前で喋ってますけども、当時恥ずかしがりやで、自分でじっとマンガを描いてるのが一番こう、性に合うと言いますかね。人前で何かするとか喋るていうのはとんでもない話しだったんです。
聞き手  ということは黒衣を着て人形を遣うことは、自分に向いてるかなと思い出したんですね。
勘十郎  黙々と足をね...。職人さんの仕事は好きやったんです。人形遣いもそういう一面があるんで...。もう中学3年生になりましたんでね、いよいよ進路を決めないかんのでちょっと悩みましたけども、人形遣いやってみようかなと...
聞き手  お父さんが「やれ」と言うんやなしに自分から...
勘十郎  ええ、一切何も言わなかったですね。ただ進学のことがあるんで、「高校行くのか、どないすんねん。高校行くんならもっと勉強せなあかん」そういう話はしたんです。その時はもう決まってたんで、迷わず「人形遣いやりたいです」と言いましたんで...。で夏に「そしたら師匠、決めないかん」ということになりまして、僕はどこに行くとか言うのは分かりませんので、父が決めてくれたのが今の、蓑助師匠なんですけどね。
聞き手  蓑助師匠には、お弟子さんはいらっしゃったんですか、その時?
勘十郎  いや、初めての弟子です。
聞き手  惣領弟子ですね。
勘十郎  師匠、若かったですからね、当時33歳でしたかね。
聞き手  ちょっと(資料を)拝見しましたら、最初お断りになったそうですね。
勘十郎  ええ、見事に断られました(笑)で、親と蓑助師匠の間で何回か会ったらしい、結果許可されまして、「じゃ、預かりましょう」ということで、入門を許されたんです。
聞き手  それが昭和42年...
勘十郎  7月ですね。
米朝  蓑助さんの方は若手の一番の有望株で注目されてましたからなぁ〜
聞き手  でも入門しちゃうと全然違いますでしょ。
勘十郎  違いますねぇ〜。で、名前を付けて頂いて、そのときに『蓑太郎』という名前を頂いて、中学生を上がる(卒業)までは研究生、見習いですね、見習いで通うたんですけども、だんだんと今まで優しかった人が...(笑)
米朝  (笑)まそれはプロになったからね。
勘十郎  それは感じましたね。妙に優しかったお兄ちゃん方はどこに行ってしまった(笑)
聞き手  (笑)
勘十郎  態度が違うやないかというような。やっぱり厳しいんですかね。
 米朝  そりゃそうですわ。
勘十郎  お手伝いに行ってた頃は少々失敗しても怒られませんでしたけど(笑)名前がついて入るということになるとね、やっぱり厳しかったですね。
米朝  そうですわ。
聞き手  また文楽の修行というのは殊に厳しいと聞いてますからね。
米朝  それでも昔のこと思うたら、優しいもんやというなことやったやろと思います。

聞き手  初めて頂いたお役は何ですか?足以外で。
勘十郎  これはね、特別扱いと言いますか、人手がなかったので、飽きさせたらいかんということで、入ってすぐみんな若い連中にいろんな役をね、ちょこちょこ勉強会に出して頂いたり...。そんなまだまだ主遣いなんて出来ないですけどね、持たしてもらいました。持ってるだけです。
米朝  はぁ〜、は、は、はぁ〜、例えばどんな役?
勘十郎  例えばね、居並びの侍役とかね、大人の役ですよ。大人の役でもねちゃんと持たしてもらったり。まだね、芸名が付く前、師匠に入門する前、お正月に勉強会があったんですけども、昭和42年。これね、『忠臣蔵』が出てましたよ。一力の茶屋場(七段目)がでてましたけども、三人侍をやらしてもろうたんです。丸坊主で、僕ら同世代の3人、今の玉女(たまめ)君もいてました。師匠とか大先輩が足とか左にきてくれるんです。
聞き手  へぇ〜
勘十郎  出て行ってね、「右向け」とか「座れ」とかね(笑)
聞き手  (笑)
勘十郎  本当は舞台上で声出したらいかんのですけども、声が飛んでくるんですよ。何となくやらしてもろうたんですけどね、憶えてないんです。写真は残ってますけど。そういう役をね、やる気を出させるように...。人のいないときに入ってよかったなぁ〜と、しんどかったですけど、ある意味ね、ものすご幸せやったなぁと、今玉女君とも言うてるんですけどね。

聞き手  そういう時にお父さんは、弟弟子の蓑助さんに息子さんを預けてるわけですよね。でも同じ舞台に立ちますよね、お父さんは何か仰るんですか?
勘十郎  いやあまり言いませんでしたね。
聞き手  任せたら任せた。
勘十郎  蓑助に任せたと。たまに言われましたけども、細かく口うるさくは言わなかったですね。誉められたことは当然一度もないですけども...
聞き手  一回もないですか?
勘十郎  ほとんどない...あ、一回だけありますわ。急に主遣いが具合が悪くなりましてね、一暢(いっちょう)さんという先輩が...
聞き手  この間亡くなられましたね...
勘十郎  本当に可愛がって頂いたんですけども、僕らが入ったときにバリバリの足遣いやってはった、すぐ上の先輩なんですけど。この方、『寿柱立万歳』がお正月にかかったんです。僕に左が付いたんです。初めてですし、とにかく振りを憶えんといけないんで、ずっと太夫と才蔵でね、面白おかしく踊っていくんですけど、難しい左なんで一所懸命勉強したんですけど。それで初日開いてすぐに(一暢さんが)休みはったんです。振り物ですんで、振りを知ってる人じゃないとなかなか出来ないんですけど...。だいたい昔から主遣いに何かあったら左遣いが変わると、また変われないかんと、それが本当の左遣いやと云われる世界なんですけど、まだ左遣いも初心者の左遣いで(笑)さっと変われるような経験も積んでなかったんですけど、「お前やれ」と言われて(笑)でも振りは憶えてるんですけども、主遣いと左遣いは全然違いますんでね...。とにかくその日はやったんです。何とか大きな失敗もなくやりまして、うまい下手は別ですよ...。で終わって家へ帰ってからですかね、親父がようやったと
聞き手  ああ〜
勘十郎  それ一回だけですわ。
聞き手  でも心配やったんでしょうね。
勘十郎  花道の鳥屋口で見てたらしいんですけどね。

聞き手  お父さんの話がでましたけども、お父さんというのは本当に大きな、荒い物を遣わせたらお上手で、お上手と言うか面白かったですね。
米朝  なんや、自分がやらなしょうがないようになって、あんな物を持って来られたと言う、お話を聞いたことがありました。
聞き手  戦後文楽も組合派と会社派、因会と三和会に分かれて、お父様は三和会に行かれて、そこで立役の人が少なかったので紋十郎さんのお相手をさせて頂くようになってというお話を聞きましたけどね。
勘十郎  そうですね。先輩に辰五郎さんという方が立役でおられて、その方ぐらいで後は大きな役をやれる方があまりいなかったんで、そういう役へと回っていって荒物遣いと言われるようになったんですけど、自分でも言ってました「わしも女形遣えるねんで」って
二人  (笑)
勘十郎  昔は『おさん』とか遣うてるんです、資料見ますとね。「わしもおさん遣うた、あれも遣うた、これも遣うた」とかね。「女形遣いとか立役遣いとか、本来はそういう言い方はせえへんもんや」と「人形遣いは人形遣いや」と。「だからどっちも遣えるのがほんまや」というようなことは言うてました。
聞き手  でもちょっと早く、昭和61年に66歳でお亡くなりなりましたけど、お酒がお好きだったようですね。
勘十郎  好きと言うかなんと言うか(笑)お酒なしでは、という感じでしたね。
聞き手  ま、お酒でちょっと命を縮めはったかなと...
勘十郎  それはありますね。量はすごかったみたいですね。はっきり計ったことはないんですけども、あればあるだけ飲んだ口ですね。
聞き手  家でも飲まはるんですか?
勘十郎  飲みます、飲みます。
聞き手  陽気なお酒?
勘十郎  陽気なお酒。
聞き手  人が集まってくるお酒ですね。
勘十郎  そうですね、人を集めて...
米朝  そんな感じやね。
勘十郎  母も苦労したんでしょうけども、一升の酒を一人で飲んだら一升飲めるわけですけど、一人で飲まんと弟弟子とかみんな寄せてワッと飲むのが好きなんですよね。
聞き手  そのときに芸談とかなかったんですか?
勘十郎  やってました。
聞き手  やってましたか。これは米朝師匠と同じですね。
米朝  いや、いや、それは自然にそんな話になってしまう。
勘十郎  そのときにちゃんと、飲んで食べてんと、ちゃんと聞かないかんのですけども(笑)うちの師匠の話でもね、「この中に後々分かることが含まれてんねんで」という
聞き手  そのときには分からないけども...
勘十郎  それが僕らも若い頃によくね、師匠の話、親父の話を聞いてましたけど、その時分からへんやないですか、なんか難しいこと言われても分からへんし。でも後々ジワ〜っと効いてきますねん、これが。聞いとかないかん、聞いとかないかんとそれは思いますね。
米朝  まぁ〜何の世界でもそうでっしゃろうけど、若いときは自分がこんな役をやることは、まぁ〜いつのこっちゃ分からんと、関係ないように思うんですな。意外に早よ回ってきたりするんやけどね。それから自分の持ち役でない、関係の無いような役の話しでも参考になりますわな。
勘十郎  そうですね。

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扇子

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