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〜今週の米朝よもやま噺は、芸能生活60年を迎える米朝師匠の入門当時の思い出から始まります。聞き手は大阪ABCラジオのプロデューサー、市川寿憲です。2月13日ABCのスタジオで収録しました。〜
聞き手  今年は芸能生活60周年ということで、昭和22年ですよね。米團治師匠のところへお入りになったのが。
米朝  そうです。そうかぁ〜60年。
聞き手  そうです、まるまる60年です。
米朝  私82ですからな、今。
聞き手  でも師匠、本当は戦前から正岡容さんのところへお入りになったりとか...
米朝  まぁ〜それはいろいろ関係はありましたけどね。けどはっきり言うて、何しろ大混乱の時代やさかいね〜。大分前に、まだ六代目松鶴が元気やった時分に、その時分の話を...朝日放送やったかも分からんわ、思い出話をいろいろとしたときに、もうすでに何年前にやったか忘れたけど、記憶がやっぱり曖昧ですわ。話が食い違うんですわ。
聞き手  あ、六代目と...
米朝  そう。「それは前やったで」とかな、「イヤーだいぶこっちやったと思う」とか...
聞き手  (笑)
米朝  あの時は二人やなしに春團治とか文枝とか、おったと思うんやけど...。(旭堂)南陵はんがおったかな。あっこらはね、講釈師のくせに一番大変なんや。
聞き手  あ、南陵先生が。
米朝  「それはもっと後やで」とか何とか言い出してな(笑)
聞き手  でも師匠、最初からいずれはプロになろうかなと言うお気持ちはあったんですか?
米朝  それはもうはっきりありましたよ。うちの師匠もそういうつもりで教えてくれたしね。まぁ〜考えてみたらその師匠連も、今から考えたら、若かったんや。
聞き手  そうですよ、五代目松鶴師匠も70(歳)にいかずに亡くなってはるわけでしょ。
米朝  いってへん。あれやっぱり食べもんがなかった時代やったんか、なんかバタバタと死にましたな。
聞き手  そうですね。
米朝  達者やったんは神戸の圓都師匠。
聞き手  あ、橘ノ圓都師匠。
米朝  あの人はね、文團治さんと元気やったけど、それでも80代にはなってましたけどな。

聞き手  師匠、姫路にずっとおられて、プロの噺家さんの門を叩いた最初の人はどなただったんですか?
米朝  五代目(松鶴)やったかな。でどういうわけかうちの師匠とウマが合うてね。
聞き手  戦前に師匠、姫路で落語会をやってますよね。
米朝  あれは、戦後ですね。直後やったかな昭和21年とか。
聞き手  何回ぐらいしはったんですか?
米朝  5〜6回やったと思うけどね。あの時分はもう喋るところもないし、銭金のことは言わずに来てもらえました。でまたお客もね、珍しいさかいにな、よう入りましたよ、お客さん。
聞き手  やっぱりね。戦後すぐに例えば四ツ橋の文楽座であったり、精華小学校であったりと、そういう会をやった時には本当にお客さんが...
米朝  もうね、ウワーという感じでね。戦争が済んで平和になったんやな〜という感じでしたなぁ〜。そうするとね、そういう会にどっかに疎開させてんか、ええ着物着てね、ご婦人なんか...。みんなそんな格好して来るんで、戦争なんかなかったような感じやったな。そりゃもちろん軍隊の服装やら、焼け出されたそのままを絵に描いたような人もありましたけどね。
聞き手  やっぱり米團治師匠でしたか、「落語を盛んにしよう思ったら平和やなかったらあかんで」と
米朝  そや。もう戦争の時はね、みんなその気持ちがあっても、やっぱり雰囲気が違うんやな〜。そりゃもう落語会を文楽座とかなんやとかでやったときには、客席の雰囲気が違いましたよな〜。四ツ橋の文楽座も、みな焼けてしもうてね。
聞き手  側だけ残ったんですよね。
米朝  そやそや、で衣装屋が後借り受けたかなんかでね。
聞き手  でも大阪で最初に劇場として復興したのは、文楽座でしたよね。
米朝  そういうことになってますねんけど、私もすぐやってきて客席にも座った記憶があるんやけどな〜。
聞き手  四ツ橋の文楽座というのは見やすいええ小屋でしたか?
米朝  そりゃなんと言うたって、人形がはっきり見える大きさやからね。だから落語の会なんかにはもってこいやったな。それから松竹の衣装部があそこ借りて、なんかやってましたな〜。そのうちに文楽というものが世界的にいろいろと騒がれだしてね。日本が世界に誇るべきもんやとかなんとかいうことになって、そのうちにやっぱり...お金のことは私はよう知らんけども、三和会というものが出来てね、松竹のいわゆる因会(ちなみかい)側と...
聞き手  組合派と別れたわけですね。
米朝  そういうことでな。はぁ〜。(桐竹)紋十郎さんという人はなかなかやり手で...
聞き手  非常にはでやかな人形遣いさんだったそうですね。
米朝  ああもう、邪道視する人もあったそうですけどなぁ...。でまた因会の偉い人ちゅうのは、バーンと無茶苦茶な年寄りやねん。
聞き手  (豊竹)山城少掾とかね。
米朝  文五郎はんであったりね。栄三(えいざ)とか言う人までおりました。そりゃまぁ〜次を背負う人が紋十郎さんやったわけやけど、言葉が通じたのかなと思うくらい...
聞き手  (笑)
米朝  (笑)片一方は明治大正の雰囲気そのまま持ってるような人やしね〜。

聞き手  師匠、また話は戻りますけど、どなたかにプロになろうとご相談されたんですか?
米朝  それはね、正岡容なんて人は、「絶対上方落語中興の祖となるべきである」とか云う手紙も来ましたけどね。とりあえず収入が無さ過ぎるさかいね、自分一人食べていくんでも大変ですわな。でまぁ私は親を養わなならんという条件もあったしね。
聞き手  師匠が昭和22年に、いろんな師匠がいらっしゃる中で米團治師匠をお選びになった理由は?
米朝  それは話をしているうちに、はっきり言うて系統立てて話が出来る人やったからね、あの人は。何か質問しても的確に応えてくれたし、「それは、誰それに聞いたら分かる」とかね。もう圓都、文團治というような長老の人達は、同じ古い噺をしてくれても、話し方がね、分かるもんには分かるというような仕方ですわ。
聞き手  でもやっぱり五代目松鶴師匠が残した『上方はなし』を読んでも、米團治というお方がペンネームでお書きになっていますが、非常に微に入り細に入り...
米朝  そうです。理路整然とね、『中濱静圃』というペンネームでね、書いてましたわな〜。あの人は本当に旧制の中学もいってないんですけどね、文章がちゃんと書けた人やしね〜。
聞き手  だって『代書』という新作をお作りなって、まぁ〜体験談でしょうけど...
米朝  まぁ〜あれはもちろんそうですけどね、面白い話で、なんかでうちの師匠がちらっと言うたことがある。「あの『代書』はな、在来からのギャグはひとつも使てないんや」と
聞き手  ほぉ〜
米朝  それがあの人の自慢でね。
聞き手  全部米團治師匠が...
米朝  作ったもん。だからくすぐりひとつね、ギャグひとつ古いのを使うてないんやと。私らもう勝手にいろんなこと入れてね、無茶苦茶にしてしもうたんやけど...、その代わりウケる噺にはしたけど...。
聞き手  それはすごいですね。
米朝  原作はあの『上方はなし』という雑誌に残ってますわな。そう言われてそん時読み直してみたら、なるほどなと思うのはありましたわ。
聞き手  そういう意味でもやっぱり、すごく新しい方ですね。
米朝  そうですね。新作として世に問うからには、在来のギャグはひとつも使ってないというのは、ひとつのプライドやったんやなぁ〜。

聞き手  やっぱり夜な夜なの芸談でもそういうお話はいっぱい出てきましたですか?
米朝  その話も夜な夜なの芸談でやったんです。
聞き手  あれはご飯食べて、ちょっとお神酒が入って...
米朝  ご飯食べまへんのや、お神酒があったらね...
聞き手  あ、それがご飯代わりなんですね。
米朝  まぁ〜そうですな。ほんでまぁ〜夜が明けてからご飯も食べるんやけど(笑)
聞き手  ということは何時ぐらいから始まるんですか?
米朝  それはね、その日によって違いますけどな。量は仰山飲まなんだ人です。
聞き手  ちびちび
米朝  ちびちびとそれがある間は飯なんか食わんですな。
聞き手  やっぱり師匠が聞きたいことを、ええタイミングのときに...
米朝  それはタイミングなり、話の内容を見計ろうて、ちょいちょい質問をするんですよ。
聞き手  そうすると、ワーッと出てくるんですね。
米朝  出てくる時と出て来ん時もあるさかい。こっちの聞きたいことを言うてくれん時は、わざとスカタンを聞いたことがあるんですわ。「こうでっしゃろな」「違うがな」言うてね、こっちにノッて来てくれる。
聞き手  手ですね。
米朝  ひとつの手やった。

〜後半は戦前、戦後に活躍した落語家、立花家花橘について伺いました。〜
聞き手  米朝師匠が入門されたときに活躍されていた立花家花橘というお師匠さんがいらっしゃいましたね。
米朝  これはもう私は稽古してもらったことはなかったけども、後の(五代目)文枝になった、当時あやめちゃんと春團治君なんかも、ようこの人に稽古してもらうてましたわいな。
聞き手  稽古台としては非常にいい。
米朝  10回喋っても狂わんような人でしたからね。
聞き手  あ、ちゃんと
米朝  だからうちの師匠「味がないんや」とよう言うてましたけどな。
聞き手  (笑)ご存じない方もいらっしゃると思いますんで、二代目立花家花橘師匠の『酒の粕』がございますので、ちょっと聞いてもらいましょう。
米朝  はい、はい。
  (レコードから二代目立花家花橘師匠の『酒の粕』を)
米朝  これは昔のSPレコード1枚の裏表に入ってる...
聞き手  ですね。昭和6年の...
米朝  あ、さよか。ははぁ〜
聞き手  ようやってはったんですか?
米朝  まぁ〜短い噺やからね。こんなもんだけでは(高座を)降りられへんけど。だいたいあの人は分かりやすい口調で、レコードで大変喜ばれたんですよ。初代の春團治てな人はもうちょっと不明瞭な、そこがまた味やったんやろうけどね、この人は本当に判子で押したような楷書のお喋りをする人でしたさかいな。
聞き手  初代の春團治という方に次いでレコードの吹き込み数は、上方で2位だそうですね。
米朝  分かりやすいし、その時分の「ザーザー」いうような昔のレコードでも、非常に明快ですわこのお方はね。味がないとよう言われたんやけどな。ネタの数は多い人でしたよ。芝居噺がかったものもわりとようやっててね『綱七』という珍しいもん、それから『蛸芝居』やとかね。芝居がかった噺は結構レコードにも残ってると思いまっせ。
聞き手  後この人『文人踊り』というのをやってはったんですか?
米朝  まぁ〜そんな名前を付けたんですがね。ようするに滑稽な踊りなんですよ。一文銭に糸を付けたやつを鼻の頭にあてごうてね...
聞き手  あの安来節の汚れみたいなやつですね。
米朝  そうそう。それがなんで『文人踊り』かと言うと、『文人画』というのが大正時代に流行ったんやね。それと同じカッコをしてね、滑稽な顔にして、『文人画』というポーズを所々でとってみせるんですわ。で、カッコ決まってみせるとそれがマンガ的な面白さになったんでね。本人さんはやってましたけどな。もうそんなもんも喜ばれんようになったんで、普通の踊り。ちょい滑稽な踊りを踊ってました。
聞き手  師匠は全然お稽古には通ってらっしゃらない?
米朝  私はないんです。というのは一つはうちの師匠がこの花橘さん、あんまり好きでないんでね(笑)
聞き手  なるほど。それでは行けませんわね。
米朝  そやから行きにくい(笑)
聞き手  「なんで花橘んとこへ行ったんや」ちゅうことですよね。経歴見ましたら、明治17年徳島のお生まれやそうです。
米朝  あ〜、そんなもんでっしゃろな〜。
聞き手  明治32年に大阪に出て来られて、34年に初代笑福亭福松というお方の門下にお入りになって...
米朝  福松っつあんのとこへ行ったんか...一奴(いちやっこ)言うてたんだよね。
聞き手  それで福松さんのところから五代目林家正三という方のところを経て、二代目桂文團治さんのところへ。そのときに桂一奴。
米朝  文團治という人は一種の親分でね、来たるを拒まずで、仰山弟子がおったらしいけどな。
聞き手  大きな一門だったんですね。
米朝  そうなん。だけど全部教えたりはしてないんですよ。
聞き手  はぁ〜、身内みたいなもんですか。
米朝  身内やね。ようするに一門が増えることを喜んだ人で...。
聞き手  で一奴になってすぐ上京されて、およそ10年間東京にいらっしゃったときに立花家橘之助さんの門下に...
米朝  橘之助さんの一門に入ってね、立花家花橘になったんですけどね。

聞き手  初代の花橘という方は女性で、音曲師やったそうですね。
米朝  はは〜、その人のことについては私は知りませんわ。
聞き手  ですから花橘という名前継ぐ時も、なんで音曲師の名前を継ぐねんというような、ちょっとした反対はあったらしいんですよ。
米朝  はぁはぁ。
聞き手  でも、綺麗なお名前ですね。
米朝  ね、そうですよね。
聞き手  で、大正3年に大阪に帰って来られて吉本の所属になられた。この方背中に紋代わりに彫りものを入れてたんですね。
米朝  ちょうど、どない言うんかな、首筋のちょっと下、紋付の紋が入るとこへね、刺青をしてたんですわ。自分の家の紋をね。それ一つだけでんねん。考えてみたらシャレたもんやけどね。
聞き手  裸になっても失礼のないということですね。
米朝  (笑)そんなこと言うてはったらしいけどな。
聞き手  昭和26年9月に亡くなられて、まだ66だったんですね。
米朝  そんなんやったんやろな〜。確か五代目(松鶴)とえろうかわらなんだと思うんです、年は。
聞き手  でも、若い人に、春團治師匠とか、文枝師匠にネタを引き継がれたということはよかったですよね、伝承する意味ではね...
米朝  熱心にね「稽古しよう」ちゅうて、今の三代目やとか、亡くなった文枝君なんかは、師匠の方から声かけてきたんで、ずいぶん稽古してもろうてまっせ。
聞き手  やっぱり昼の部、夜の部ということは戎橋松竹に出番のとき...
米朝  『松葉』という仲店があってね、東京から来たのせもんの噺家はそこで寝泊まりしてましたんや。宿泊場にもなってまして、宿屋とるよりは安かったんやろうな。
聞き手  でも非常に明快やし、味はないかもしれないけれどもSP聞いてると、これはこれで味わいが...
米朝  そうです。あの珍しいネタ仰山持ってましたからな。『野崎参り』とかね『生貝』とかあんなんみな、この人から教わってるはずです。
聞き手  三代目がね。
米朝  三代目も文枝君も...
聞き手  三代目は花橘さんと、文團治師匠にもネタをよく貰ってるようなことを...
米朝  ええ。『高尾』とかね。文團治というお方もネタをきっちり教えてくれた方です。
聞き手  ま、教えてもらう方にしては楽ですわね。
米朝  そうですわね。

聞き手  師匠『綱七』と先ほど芝居噺で出ましたけど、例えばテキストというか、そういうもんは残ってるんですか?
米朝  あれはね、騒人社から出た落語全集に芳兵衛さん、後に花柳芳兵衛になった、あの人の速記やと思いますわ。あるいは花橘さんのやる通りです。
聞き手  じゃ、復元しようと思えば、動きがちょっと分かりませんが...
米朝  出来んことはないんやけどね、笑いがないねん。ギャグがないんですね。
聞き手  本当の芝居の真似なんですね。それがパロディとしても分からへんし、面白ないしとなると、辛いですね。
米朝  そうです、笑うところがないんでね〜。で難しいしね。やろうと思うたらね、型が...
聞き手  これ、なかなかやろうという人、出てきませんね。
米朝  出て来まへんな。今の露の五郎君がやりかけたと思うんですけどね。持ちネタにはなってないな。
聞き手  やっぱりそないにお客にはウケませんわね。
米朝  ウケへんのですわ。
聞き手  今回は花橘師匠を聞いて頂きましたけど、また珍しいものがありましたら聞いて頂こうと思います。
米朝  そうですな、はめもの、鳴り物の入るようなものがあったらと思います。
聞き手  分かりました。探しておきます。

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扇子

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