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〜桂米朝さんは昭和18年に今の大東文化大学に進学し、徴兵までの間を東京で過ごしました。今週のよもやま噺は当時大学生の米朝さんが通い詰めた東京の寄席のにぎわいを振り返ります。聞き手は大阪ABCテレビのプロデューサー市川寿憲です。2006年5月にABCのスタジオで収録したものです。〜
米朝  大阪の寄席へ東京の人は必ず来てましたよ。ミナミやキタの花月へね。
聞き手  当時どんな方がいらしてたんですか?
米朝  特別の存在は柳家三亀松さんですな。あの方は再々発売禁止になったりしてやね、売れたのは戦争前ですからな。
聞き手  『新婚箱根の一夜』とか...
米朝  あれは発売禁止になったんで有名になってね、それで三亀松という存在が知られるようになったきっかけやったと思いますわ。当時発売禁止言うたら、厳重やさかいね。今から考えたらたいしたことないんですわ。
聞き手  そうですよね。ああいう男と女の掛け合いで「アハァ〜ん」とか言うてはったんですか?
米朝  それは、レコードの方がむしろはっきり出てたんやないかと思うんですわ。あの人は顔芸をやったんですよ。大河内伝次郎。たんに大河内をやるんでなくね、小唄勝太郎の顔をするんです。
聞き手  あの『島の娘』の...
米朝  おちょぼ口にしてね「この顔を少しずらしていくと大河内の顔になる」と言うてね。それから立ち上がってね、肩揺すってね、足をちょっと斜めにして、そこでクンパルシータになるんです。
聞き手  ほぉ〜、洋楽ですね。
米朝  南北の花月にはピアノがありましたんや。そのピアノを弾いてたのが江利チエミのお父さん。あのメロディーみんな知ってたんやな、そこで手(拍手)が来たりしましたよ。あれ流行ったんですよ、すぐ戦争になって御法度になったけどもね。非常に新しい演出をやってたんですな。
聞き手  そうですね〜。都々逸は僕が最初に見たときは立ち高座でしたけど、最初は座ってた...?
米朝  座ってた。あれ戦後ね、広い所でやらなならんようになったし、袴を付けて...、それで立ち高座になってしまいましたけどね、寄席はずっと座って出てました。
聞き手  そうですか。
米朝  戦後、東京の寄席に出てたときは私、知りませんのや。座ってやってたんか、立ってやってたんか。
聞き手  柳家三亀松さんの他は?
米朝  その頃は(柳家)金語楼さんは滅多に来なくなったけど、年に1回は来てたんかな。でね、来たら働かすんですな。南北の花月だけでなくね、京都も一軒まわらしたりね。
聞き手  掛け持ちで。
米朝  自動車付けてたんでしょうな。
聞き手  ほぉ〜。
米朝  やっぱり別格の存在になってたね。
聞き手  噺家さんでは?
米朝  四代目の小さんとか柳橋さんとかね。
聞き手  この間亡くなって柳橋さんですね。先代ですね。
米朝  今から言うたら、先代になるかな。それから柳好さん。
聞き手  非常に調子のいい、三代目(春風亭)柳好さん。
米朝  それから当時の林家正蔵、三平ちゃんのお父さんですな。
聞き手  七代目の正蔵ですね。
米朝  (八代目桂))文楽さんなんか来てましたよ。
聞き手  で、それをご覧になって昭和18年に東京の学校にお行きなって...
米朝  向こう(東京)の普通の寄席でやっぱり結構な顔ぶれでしたよ。
聞き手  大阪の寄席とは雰囲気違いましたか?
米朝  仰山出まっしゃろ、東京はね。二十何ぼ出るんや。こっち(大阪)は14〜5や。高座時間がやっぱり20分ぐらいとりますわな。東京の普通の寄席の掛け持ちは、忙しい人は12〜3分ですわ。責任者的な位置に出てる人は15分ぐらいやった。
聞き手  短いですね。
米朝  トリでもそんなもんです。志ん生さんがぼちぼちと売り出してきた頃でね。志ん生を継いだ頃やったと思いますね。それから根岸の文治、柳橋、今輔、小文治。小文治さんはもちろん短う喋って立ち上がって、踊りで勝負してました。
聞き手  その当時から踊りがメインだったんですね。圓生師匠はどうでした?
米朝  ぼちぼち「この人は上手い」と言われかけてた頃ですな。圓蔵から圓生になったからね。三升家小勝という人がね特別な存在で、鈴々舎馬風(先代)なんて人は小勝さんの真似ばかりやってました。
聞き手  師匠どこの小屋にお行きになったんですか?
米朝  そりゃもう新宿の末廣亭であり、上野の鈴本であり、人形町の末広。人形町はね友達が店やってたりしたんでね。河豚屋でしたけどね。

聞き手  講談。講釈は?
米朝  講釈はね、残念ながらこっちは(二代目)旭堂南陵さんしかおらなんだ。それ以外にも講釈やってる人もあったけどね、それはもうせこいもんでした。
聞き手  あ、いらしたんですか。
米朝  本当に叩き込んだ講釈師ではないから、元活弁屋とかな。所謂軍事講談的な、世の中に迎合したような講釈をやる人がありましたけどな。
聞き手  戦前は講釈本を皆さんよくお読みになってて...
米朝  それはもうね、明治の末から大正全編にかけて、ビックリするぐらい出てますよ。それは何百種類...千種類ぐらい出てたんやないかな。貸本屋でどんどん借りられるから。講談社から講談全集なんて分厚いね、これは内容がたっぷりあるんやけども、やはり講談社の色というんかな、俗悪的な面白さがないんです。
聞き手  師匠も小さいときから講釈本をお読みになって...
米朝  それはね、小型版があってね、夜店で五銭ぐらいで売ってるんですわ。
聞き手  今の文庫本よりもっと小さい。
米朝  まぁ〜あれぐらいの大きさかな。毒々しい絵が表紙に描いてあってね、この方が面白いんです。講談社のよりな。
聞き手  読み物として。講釈本をお読みになってて、東京に行かれて南陵先生以外の講釈をお聴きになったときは違いましたですか?
米朝  そりゃ違いますよ。それにどうしたって関東、関西が敵になってね、関ヶ原あたりで関西方の景気のいい時のもんです。大坂城の夏の陣になるとね、後は悲劇やからね。あの間がおもろいんや。真田幸村のところへいろんな連中が出入りしてね。忍者仰山出てくるしな(笑)
聞き手  今の米朝師匠のいろんな知識の中で講釈がいかに大きなウェイトを占めているかというお話をよくされますよね。
米朝  はいはい、それは俗悪な内容やなしに講釈場という所はいろんな知恵を与えてくれるところでね。余談、『引き事』と言いますけどね、講釈師は脱線するとね、なかなか面白いんですよ、これが。御牢内、小伝馬町の牢屋の中の順位とかね。牢名主の後に、一番役、二番役、本番、助番、中座当制番(ナカザトウセイバン)、隅の隠居に穴の隠居、仮牢名主、詰め(便所のこと)の前、金毘羅下。これらが役付きと言うてね。それで高盛もっそうが食える、つまりもっそう飯をてんこ盛りにして食えて、威張っているらしい。昔の吉右衛門...
聞き手  初代吉右衛門。
米朝  ま、あれ本当は初代やないんやけど。あの人の句に「顔見せや隅の隠居は吉之丞」という『四千両』という芝居から出た戦後すぐの句かな。
聞き手  『四千両』は播磨屋と六代目菊五郎(の共演)がよかったそうですね。
米朝  富蔵、藤十郎という二人が江戸城に忍び込んで千両箱を盗み出す話。千両箱二つ背負う足取りがね、スッスと歩けんのよ、重とうて。その足取りが素晴らしいと言うてね。
聞き手  リアルだったんでしょうね。面白いのは『世話物』が得意だった六代目が『時代物』に付き合い、吉右衛門が六代目に付き合う所ですよね。
米朝  そば屋が出てくる河内山の芝居。俺は見てないんやけども、吉右衛門がそば屋(の直侍)をやって、そこへちょっと仕出しみたいにすすり上げて帰る(捕り手の)役を六代目がやったりしてね、客は満員やった。
聞き手  そりゃそんなご馳走はなかなかないですからね。昔はよくお付き合いされていろんな幕で出ていらっしゃいましたね。今は全然違いますけど。
米朝  そうやな。ちょい役なんかやったりすると「ご馳走や」言うてね、えらい評判になったりしたんでしょうな。
聞き手  芝居一つでも街の評判になるぐらい、一般常識だったんでしょうね。
米朝  また役者も楽しんでそういうちょい役を買うて出たりしてね。

聞き手  今週は懐かしい音源をということで、五代目古今亭志ん生師匠の『大津絵』をご用意しましたので聞いて頂こうと思います。
  (レコードから五代目古今亭志ん生師匠の『大津絵・冬の夜』を)
米朝  ちゃんと(全篇)聞いたのは私初めてですよ。
聞き手  本当に末枯れてて良い声ですよね。
米朝  志ん生さんの十八番で小泉信三と言う偉い先生が年にいっぺんこれを聞いてその度ごとに泣いたと言う...
聞き手  有名な一口話ですね。小泉先生は慶応義塾の塾長をされていて今上天皇の先生をされていたそうですから、当時そういう意味では学者の中の学者ですね。
米朝  そうでしょうな
聞き手  こういうのは節やなくて、声なんですかね。
米朝  声と言うかやっぱり語りというかな、喋る要素が大変大事やったと思いますわな。
聞き手  非常に中のあんこが長いですものね。
米朝  もうこれ唄いにくいやろな、ごまかしたなると思うんやけどね。
聞き手  (笑)でも師匠も『大津絵』をね、興にのられると、ね。
米朝  そりゃ、絃がないからね。

聞き手  お聞きしますと東京の演奏の仕方と大阪では...
米朝  三味線の手が違うらしいね。こっちも東京風になってきてるんやけど、古い人ならこっちの昔の手を弾いてくれるという...てなことをいうてたのがもう20年以上も前の話やからね(笑)
聞き手  20年ぐらい前でも東阪で違うものがあったんですね。芸事として。
米朝  そうですな。最もこっちの古い手というのは、年寄りしか知りませんけどね。今は誰も知らんのやないかなと思うんやけど。何もかも東京の方が中心になってしまいますからな。
聞き手  そういう意味では都々逸も違ったんですかね。
米朝  都々逸というものは、ま、あっちのもんでね。こっちは『よしこの』というものがありましたけど...。いま『よしこの保存会』というのがあるらしいけどね。唄い方もちょっと違うたらしいしね。
聞き手  今『よしこの』で残ってると言えば阿波踊りですか。
米朝  あの節、都々逸によう似てますわいな。みな早間でやるさかい分からへんけどな、あれをゆっくり引き延ばして唄うたら都々逸と一緒ですわ。
聞き手  なるほどね。そういう意味では原点がどこか一緒のものが派生していくわけですね。東京と大阪で同じネタでも違うというのは当然ありますよね。どっちかというと大阪から...、関東大震災の時に東京から噺家さんが来られて三代目小さん師匠が持って帰られたりとか...
米朝  それは沢山あります。こっち(大阪)から向こう(東京)へ移ったのは沢山ある。逆は少ない。
聞き手  最近若い方が東京の噺をこちらの噺にして、世界置き換えて『明烏(あけがらす)』とかやってらっしゃいますけど。
米朝  私はやっぱり『明烏』とか『芝浜』とかいうものは、こっちに移したらいかんもんやと思いますわ。無理がある。

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扇子

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