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スペース 7月16日第64回
~先頃、米朝さんの落語を収録しました、落語CDの全集が2編発売されまして、どちらも大変な話題になっています。『ABCラジオ 上方落語をきく会』50周年記念の『栄光の上方落語』と昭和48年からシリーズで発売されて大ヒットしました『桂米朝 上方落語大全集』の復刻版です~
聞き手  6月の末に、朝日放送でやっています『上方落語をきく会』が去年50周年を迎えまして...
米朝  あれ昔からやってもろうてたんや。
聞き手  初っぱなが、昭和30年12月1日ですね。高麗橋の三越劇場が1回目でした。米朝師匠は何をやったかご記憶にありますか?
米朝  そんなものは覚えてないな...
聞き手  (笑)『住吉駕籠』をやっていただいてまして、その時のご出演のメンバーを見ますと、桂春坊(現・露の五郎兵衛)さんが『浮世床』、福團治(現・春團治)師匠が『月並み丁稚』、亡くなられた三代目の染丸さんが『河豚鍋』、枝鶴時代の六代目松鶴さんが『寄合酒』、圓都師匠が『高尾』、文團治師匠が『らくだ』。これが1回目で、去年までずっと50回やらしていただいて、米朝師匠が一番出演回数が多いんです。ちなみに61回。
米朝  えーーーー!? 50年で61回...。一つは、ネタが多かったというのもあるんですわ。ラジオだから何でもやれるというもんではないし、やれんものもあるし。そうなると私が多なったんかな。
聞き手  昭和30年ということはまだ上方落語がちょっと...
米朝  やっと久しぶりに頭上げてきたというぐらいの時ですわな。ま、若い者がね、それまでおったんやけどもなかなか使うてもらえなんだしね。圓都と文團治という古い人がおったし。はっきり言うと、使い出すと若いもんの方が融通が利くしやね、注文に応じられるしね。
聞き手  NHKさんがずっとおやりになっていて今でも続けていらっしゃいますし、毎日放送さんも少しおやりになってましたけども...。
米朝  朝日さんが一番、いろんな意味でお世話になってるし、回数も多いです。
聞き手  ま、好きなスタッフが沢山いたということもありますし(笑)
米朝  そういうことは多分に影響しますよ。
聞き手  そうですね。でもやっぱり会場とかいろんな設えでやりにくいな、やりやすいなというのは当然おありになると思うんですよ。
米朝  はい、はい。場所にもよるしね。
聞き手  最初から第9回まで高麗橋の三越劇場で、その後が中之島のABCホール、今のリサイタルホール。フェスティバルホールの地下ですね。そこでやっておりまして、今のABCホールに来て、なんばの髙島屋ホール。
米朝  はい、あそこも何回かやったな〜。
聞き手  これが大分長いこと続いた。
米朝  それはもう、その会場に来るお客というのがあるんですな。他所へ来ないとかね。受け方その他が多少違うんですな。髙島屋でやった時は、だんだんそういう雰囲気へお客がなってきましたよ。
聞き手  それはミナミのようなお客ということですか?
米朝  キタでやるのとは違うな〜という感じがしたもんですな。三越劇場は、これはまた違う雰囲気があったんやけどね。そのうちに落語ブームの時代が来てどこも同じお客さんが入るようになってきた。
聞き手  あ、追っかけですね。
米朝  そういう人がだんだん増えてきましたよ。
聞き手  それまでも若手の回とかありましたけど、こういうもんが出来ると出方の方の気持ちも変わるもんなですかね?
米朝  いつの間にやら変わってくるね。NHKは、始めは馬場町の...あれ誰が言い出したんやろなJOBK、『ジャパン・オオサカ・バンバチョウ・カド』上手いこと言いやがったなと、初めて聞いた時は感心したんやけどな。
聞き手  『JOBK』はNHK大阪の呼称なんですよね。今ちょっと場所が変わってしまいましたけど...
米朝  前はほんまの角やったからな。

聞き手  『栄光の上方落語』の中にも収録されていますが、米朝師匠が『東の旅 発端』から『七度狐まで』1時間ほどお演り頂いてるのが昭和48年。枝雀さんが襲名された時ですね。ちょうど50回の記念で、『松鶴、米朝極め付き長講落語会』。松鶴師匠が『らくだ』をどちらも1時間ぐらいやっていらっしゃいます。でも普通は時間の制限がありますよね。
米朝  その時分は13分半とか14分というコマーシャルを入れる関係なんやな。そういうことにも慣れてましたわ。
聞き手  昔、米朝師匠が一番最初にお出しになったLPがCDになりまして、昭和48年から昭和53年まで出てる、『桂米朝上方落語大全集』というレコードがCD40枚...
米朝  ほぉ〜40枚ね〜。うちに来てたのそれやな。
聞き手  10枚組4セットですから。題字が二代目の中村鴈治郎さん。
米朝  (レコードのを)そのまま使い回してるんです。
聞き手  逆に使えてよかったですよね。貴重ですものね。
米朝  『中村鴈治郎・書』というのも一番最初のには入ってたと思う。初めの頃はね、よう売れましてな。東芝が「ご夫妻で箱根の湯へご招待したい」「白浜の湯へご招待したい」とか言うてくれたんですよ。
聞き手  へぇ〜
米朝  ところが3日も休めなんだ。
聞き手  当時...
米朝  もうスケジュールがね、いっぱいで。残念ながら。もうちょっと先にしてくれと言うてるうちに、そんな話ないようになってしもうたけど(笑)
聞き手  でもお家にゴールドディスクは飾ってありますものね。
米朝  はい、はい、あれ2枚貰うてるわ。
聞き手  今普通に出てるものはこの全集の後に録った分ですから、(復刻版を)聞かせていただくと若いですし、テンポもありますし、勢いもありますよね。自分の作品が残るというのはどうなんですか?
米朝  う〜ん、今となりゃもうそれもええやろ、てなもんやけどね(笑)始めの頃はたまたま聞いたやつがもう一つやったりすると嫌やったね。せやけど考えてみたらその若い時のとちったりしてても、それが残ったほうがええかも分からん。
聞き手  ほぉ〜。師匠はご自分の音とか映像を聞いたり、ご覧になるのはお好きなんですか?
米朝  あんまり好きやないすな。この頃、何年も前のをね、別の興味で聞こうと思うけど、その頃は聞くの嫌やったね。
聞き手  それはアラが見えるからですか?
米朝  必ず、たいしたことないんやけど、気に入らん所がでけてくるんや(笑)
聞き手  きっちり録るために、お客の前ではなくてスタジオでという方もいらっしゃいますけど。
米朝  そんなこと言うてたらね、OKは出せませんわな。こんなもんはなんかの間違いで、録るつもりやなしにそれが残ったというようなね、そんなもんが面白かったりするんです。
聞き手  東京の、亡くなられた三遊亭圓生師匠が、『圓生百席』というレコードを出されましたが、あれは全部スタジオ録音なんです。で、録り終わってから全部自分でお聞きになるんですってね。
米朝  そうやろうな、あの人は...。気に入らん所だらけやったと思うわ。
聞き手  「ここをちょっともういっぺん」とか「ここの間をつまんで(短くして)」とかいろんなご注文が出たそうです。
米朝  あのお方はそういう完璧主義みたいな所があってね、ところが「ここん所へこれをはめ込んでくれ」というのは上手いこといかんらしいね。
聞き手  そうですね。声のトーンとか、調子が全然違いますからね。僕らの世界でもそうですね。ナレーションを「ここがおかしいからどっか違うのを持ってこよう」かなと思いますけど、絶対ハマりませんよね。
米朝  らしいね。そういうもんや。
聞き手  クラシックにヘルベルト・フォン・カラヤンという大指揮者がいらっしゃいます。あの方も当然同じ曲を若いとき、中年、晩年と聞き比べが出来たりして、それはファンにとってはありがたいことですから、(落語でも)同じネタが変わっていくのが分かるんで...。
米朝  ほんまにね(笑)ありがたいような、情けないような(笑)

〜後半は戦前から戦後にかけて大ヒットしました漫才コンビ、松鶴家光晴・浮世亭夢若をとりあげます〜
聞き手  40年ほど前にコンビはなくなってるんですけど...。夢若さんが先に亡くなって、昭和35年にご自分で...。その後、松鶴家光晴さんが(吾妻)ひな子さんと組んだりしてたんですが、この方も昭和42年に(亡くなられて)。この方達の思い出は?
米朝  そりゃもうずっと一緒に、私の後に光晴・夢若さんが出たり、光晴・夢若さんの後に私が出たり、というような晩年そんなんでしたからな。いやっちゅうほど聞いてますわ。
聞き手  (大笑)お好きな漫才でしたか?
米朝  好きでしたな。枝雀も好きでね、私がちょっと浪花節の真似をしまんのや、それを聞きたがってね、枝雀が。
  (『春に浮かれて』をレコードから)
聞き手  最後とりネタが節真似ですよね。
米朝  まぁ〜これは、藤川友春という、私らも知らんが、『初代の友春節』と言うんで、昔の漫才の人がよう真似してました。軽快なメロディーで、まぁ〜なんとも言えん不思議な・・・、光晴節やなこれはもう。
聞き手  声の悪い方が松鶴家光晴さんですね。
米朝  そうそう...。「悪い方が」(笑)いやほんまにね魅力のある声ではあったけど、何とも言えん声でしたな。
聞き手  夢若さんという方は男前で...
米朝  ええ、まぁ、それは光晴さんと比べるとね二枚目でね、ええ対照やったですけどな。しかし夢若さんも浪花節上手かったですよ。
聞き手  そうですか。光晴さんが歌いながら、(夢若さんが)横でちょっと踊ってるような仕草があるんですってね。
米朝  『にんびょうし』にいたりね、いろんなことをやってました。
聞き手  有名なのが『曽我物語』であったりとか...。
米朝  曽我とか(赤穂)義士とかね。
聞き手  語っていったり、節つけたりするのがお得意で。
米朝  光晴さん、初め浪曲師志望やったらしいんです。
聞き手  非常にリズミカルですよね。
米朝  何回も何回も練習しはったんやと思うんやけどな〜。

聞き手  師匠どうなんですか? 漫才がワァ〜と湧きますよね。例えば光晴・夢若さんが前に出てて、今度師匠が落語で出てきますよね。そういう時の(客席の)空気は違うなと感じるもんなんですか?
米朝  それはね、まだ光晴・夢若さんなんかいいんやけど、タイヘイトリオやとかね・・・、大概「堪忍してくれ」と言うて先に出るとかしてたんやけど、向こうがなんかえらい急いでたりしてね、先に出てジャカジャカやられてその後に一人出た。そんなこともようあった。それはもう慣れてるから平気でしたよ。「大掃除の後で留守番頼まれてるようなもんや」てなことをマクラで言うた。
聞き手  聞いた所によりますと夢若さんがお亡くなりになってから、吾妻ひな子さんと光晴さんが組んで、夢若さんと組んだ時と同じことをひな子師匠に要求されるんですってね。
米朝  それは無理やな。
聞き手  受け答えにしても...。それがあって「私は堪忍して欲しい」ということがあったらしいですね。
米朝  秀若という夢若の弟子がおってね、彼にやらした。ほなら前のネタそのまま使えるんですよ。ノビノビとしてやってはったけどな。やっぱり貫禄が違うのかな、上手いこといかなんだな。
聞き手  秀若さんて『平和ラッパ・日佐丸』の(五代目の)日佐丸さんですね。ラッパ・日佐丸で曽我物語やってはりました、最後ね。
米朝  そうやったか。
聞き手  コンビの晩年ですけど。漫才コンビというのが難しいのは絶頂の時に片方がこう...
米朝  そうそう。もうよっぽど上手い人やないとね、その後継ぎはでけんな。
聞き手  そうですね。そういう意味で漫才は非常に過酷な芸ですね。
米朝  片方は前と同じことを要求するからね。それは出来へんな。
聞き手  いとし・こいし先生が、お兄さんが亡くなってから漫才せんというのはよく分かることですね。
米朝  そりゃ出来んわ。

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