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〜今週もゲストに上方歌舞伎の人間国宝、中村鴈治郎改め坂田藤十郎さんをお迎えしました。聞き手は大阪ABCテレビのプロデューサー市川寿憲です〜
聞き手  昭和6年12月31日のお生まれで、お爺様は、本当は1月1日の誕生日にしたかったそうですね。
藤十郎  自分と同じ干支になるんでね、申の五黄(豪)なんでね。「豊臣秀吉も申の五黄やし、わしもそうや。孫もそうなれ」って言ったら祖母がね、四柱推命と言うか八卦をみるのが大好きな人やったから、「こんな素晴らしい運の強い日に生まれてるのに、なんでそういうことみんな言うんですか!!!」と言うて、お爺さんも「あそうですか」と言われた通りそういうことになったらしい。で、運の強いことがずいぶんあります。『曾根崎心中』のちょうど千回公演というのを中座でさしていただいたんですよ。これは本当に阪神の皆さん方に申し訳ない言葉になるんですけど、(平成7年)1月16日がちょうど千回だったんです。その明くる日が大震災ですわね。1日違ったらこの千回公演出来てないかもしれない。これは皆さん方に申し訳ない話なので、この言葉はその時はちょっと出しにくかったんですけど、『運』というのが今出ましたんで申し上げますけれど、震災の日の朝刊は朝の5時頃でしたからもう刷ってますわね、『曾根崎心中千回』というのが震災の朝の新聞なんですね。
米朝  それは震災に遭うた人には気の毒やけども...
藤十郎  だから巡り会わせみたいなのがあるなと、その時に言われました。
聞き手  やっぱり12月31日がよかったんですね。
藤十郎  どうだか分かりませんが...

聞き手  初舞台はおいくつだったんですか?
藤十郎  9歳ですね。
聞き手  昭和16年10月ですね。
藤十郎  それまでに『初お目見え』というか舞台はいっぺん出てますねん。祖父が昭和10年に亡くなりましてね、私3歳ですわ。南座で追善口上がありましてね、大勢上方歌舞伎の方が出ていらっしゃいました。ま、「出ろ」ということですかね、3歳の子供がお辞儀して出された。3日目ぐらいにね、私は覚えがないんですが「幕閉め!!!」って言うたらしいんですよ。
米朝  へぇ〜
藤十郎  その時分父は若手でしょ、ビックリしたらしい。明くる日からクビでね、4日目からもう舞台出してもらえなかった。それが最初なんですけどね。
聞き手  (笑)小さい時からお芝居とか芸事が好きだったんですか?
藤十郎  それがね、印象があんまり良くなかったんだな、自分はずっと。嫌いではないんやけど、興味はなかったですな、全然。武智鉄二という人に会うまでは。
聞き手  全然なかったですか!?
藤十郎  全然ないのと一緒ですね。9歳の時に初舞台が決まった時、そりゃ親も心配したでっしゃろね、踊りも何もせえへんもんやから。楳茂都陸平さんの所へ踊りを習いに連れて行かれて、端唄の『夕暮れ』を三か月ぐらいやって、ちょっとも覚えんもんやから、「ボン、ええかげんせんとな『夕暮れ』が夜が明けまっせ」言うて叱られたんだけ覚えてます。
米朝  (笑)9歳いうたらそんなもんですかいな?
藤十郎  いや〜、遅いことないですか。いや、今の子供は好きですよ、うちの孫たち。ほんまに私と血が繋がってる孫かと思うぐらいね。本当に武智さんに会うて...武智さんに芸を習うたわけではないけれど(笑)山城(豊竹山城少掾)のお師匠さんやら、先代の綱さん(八世竹本綱大夫)のお師匠さんやら、マンツーマンでお稽古を。そんな稽古ちゅうものは考えられへんでっしゃろ。いや日本の伝統芸術って、こんな素晴らしいもんかと思いましてね〜。
聞き手  それは昭和24年ですね。記録によると。
藤十郎  八代目の(坂東)三津五郎さんが演技指導をされて、本読みをした時に「噂の通り扇雀は下手やな、こりゃえらいことになるで」と2人で相談して(武智先生が)「わしにまかしとけ」ということで名人級の所へ行ったんです。私だけです。他の若手の俳優はある程度出来てたんですな、あれ。
聞き手  他のメンバーはどんな方がいらっしゃったんですか?
藤十郎  (三代目)實川延若になられた延二郎さん、中村富十郎になられた坂東鶴之助さん。映画へ行った市川雷蔵さん、北上弥太郎さん、中村太郎さん。
聞き手  当時の扇雀さんだけが...
藤十郎  下手でんねん。でも考えてみたらそれだけ別の稽古してるんやから、一番ましになりますわな。
聞き手  どんなお稽古でしたか?
藤十郎  一つの例が、私が(摂州合邦辻の)『玉手御前』をすることになりまして、八代目の綱大夫さんに習いにいきました。そこへ武智先生もいらっしゃいまして3人で稽古してるようなもんですわな。「ま、今日はここまでにしときましょ」「ありがとうございす」。で、武智先生が綱お師匠さんに「扇雀の『玉手御前』はどうでしたか?」「あ〜、まぁまぁでんな」「綱さん!!まぁまぁと言う教え方はなんですか。 扇雀の『玉手御前』を“うまい”というまでなんで教えないんですか!!まぁまぁというのはあきません。うまいと思うまで教えなさい!!」私を怒らんと綱さんを怒ってはるんです。「そんなこと言うたってすぐには上手いこといきゃしません」「それはいけません。もういっぺん稽古しましょうか!」そんな稽古やからね、ある程度分かってくるんですね。世間からはね、「扇雀は武智鉄二のモルモットや」と言われたんです。こうなったらモルモット結構、ええもん取得した方がええじゃないですか。それぐらいずっと。
聞き手  周りもうらやましがったでしょうね。
藤十郎  一番うらやましがったのは父でね、帰ってきたら「おい、どんなこと習うてきた?」「こうこう」「う〜ん、そうかなるほど」とね。
聞き手  櫻間道雄さんにはただ歩くだけという稽古もあったそうですね。
藤十郎  お能を稽古してもらえというから能を習うんやと思うたんですわ。そうしたら畳のふち歩く練習。で半年ぐらいなりましたらね、「もう明日からきませんから」「ちょっと先生待ってください。世間で先生にお能を習うてると言うてるのに、歩いてるだけで恥ずかしいから何か教えてください。なんでですねん」「いや武智さんが“扇雀が歩いて、腰が揺れんようになったらあんたもう行かんでもええから”と言うんで、あんたもう腰が据わる練習が出来たから私はもう用が済んだんです」とこういうことなんですよ。最初からそんなこと言うたら稽古せんと思うたんですかね。
米朝  (笑)
藤十郎  ですから腰の据わり方、息の詰め方は今でもちゃんと分かります。
米朝  歩くというのは大変なことですな。
聞き手  古典芸能で皆さんよく『息を詰める』とおっしゃいますが、これは難解で、難しそうなんですけどね。
藤十郎  息止めてるんやない、詰めてんのやとよく笑いますけどね。
米朝  ああいうのは教えられへんし、説明も出来へん。
聞き手  後、京舞も...
藤十郎  井上のお師匠さん(四世井上八千代)ですね。そりゃもう役者辞めようかと思うぐらいの怒り方ですからね。凄いですよそれは。

聞き手  歌舞伎以外にも、越路吹雪さんとかいろんな方と共演されて。
米朝  それはもういろんな舞台を...映画も...
藤十郎  映画もやりました。やっぱりいろいろやったおかげで、『今』と言う時代を見る眼を養わさせてもろうたから、長い伝統の歌舞伎の中で、今お客さんはどういうように望んでいらっしゃるのかなという事は早く察することが出来ます。
聞き手  一番難しいのは古典を今にということですね。
藤十郎  そうです。昔の物をそのままやるんだけど、昔のままでない全体から出てくる匂いと言うか...
米朝  勘、みたいな物がね。個人の力やろうけど。
藤十郎  米朝さんも素晴らしい上方落語をこれまでなさるというのは、『今』というのをちゃんと見てらっしゃるからやといつも思ってるんですよ。
米朝  いや、いや、私らは...

聞き手  扇雀から鴈治郎におなりになる時にずっと取材させていただきまして、大阪の新歌舞伎座で『男の花道』をお出しになった。夜、『深川マンボ』を踊りになって、ここで「私は扇雀だったんだよ、そして鴈治郎になるんだよ」というアピールを感じました。
藤十郎  『深川マンボ』やってやれないことはないけれど、やる時期もあるさかい(笑)
聞き手  そういうやり方の中に長谷川一夫さんと一緒にお出になったりという影響もおありになったんですか?
藤十郎  そりゃありますよ。あれだけお客様を大事になさる方、役者さんと言うのはちょっとないですわ。メイキャップの仕方もね〜。最初の出。どの間で出るか時間がかかるんですよ。上手から出てきて「ちょっと待ってくれ、もういっぺん真ん中から出してくれ」とかね(笑)私の祖父、初代鴈治郎を大崇拝してる人なんですよ。実は祖父のお弟子さんでしたから。「あんた知らんやろけどね、あんたのお爺ちゃん、あんなに出を大事にする人はなかったよ。私それの真似をしてるだけや」と言われたんです。
聞き手  初代(鴈治郎)という人は、芝居が一日一日違ったそうですね。
藤十郎  あれはね無理に変えてるんじゃなくて、すぐ気持ちになり切ってるから毎日同じことなんだけど、微妙に違うんじゃないですか。それは私分かりますわ。『曾根崎心中』のお初というのをね、回数千何回というのは分からんけど、初演と同じ気持ちでね、微妙に違うらしいんだけど本当のその時の気持ちでやれるんですよ。そういう精神は、毎回新しい気持ちでやってるからじゃないでしょうか。
聞き手  今お初の話が出ましたが、昭和28年にお初の役ということはまだ21,2歳でおやりになっていますね。で今、74歳。作品ではお初は19歳。これをずっと続けていかれるという凄さがね...
藤十郎  いやまぁ、凄いのかどうか分からんけど、やれと言ってくださるから...。その場になると無理なく動いてしまうのかもしれませんね。
米朝  それはメイキャップして衣装を着けて鳴り物が入ってだんだんその気分になっていくんですかな?
藤十郎  ですね〜。ちょっと分かりませんけど、舞台というのは、なんか不思議なとこが(あるんでしょうね)高座もそうでっしゃろね。
米朝  日によっていろいろですけどね。でも、本当にどうしてもその気分になれんという日はありますか?
藤十郎  それは、私はないんです。舞台は子供の時と違うて好きですものね。この間も雑誌のインタビューで「生まれ変わったら何におなりになりたいですか?」「やっぱり歌舞伎役者」と言うてしまったんですが(笑)
米朝  他のことをもう考えられへんのや。
藤十郎  本当にありがたい。ずいぶんわがままな人生だと思います。この年になって襲名して、まわりの人にずいぶん苦労させて、まわりがよくやってくれるので、本当にありがたいなと感謝してます。
聞き手  お叱りを受けるかもしれませんが、今回の襲名のポスターを拝見いたしますと、どれも嬉しそうなお顔ですよね。
藤十郎  (笑)そうですねん。前の時の襲名よりも(大笑)それは祖父から父に申し訳ない事やと思いますけど、そうなんですよね。
聞き手  まぁ当然、鴈治郎というお名前を(今後)どうするかとかありますけども、それよりも次の若い人を育てていって...
藤十郎  それはもう十二分に思ってます。よく言われるんですが「お初という役を人に渡さんとじっと持ってるんでしょ」と・・・。そんなこといっぺんも思ったことない。お初...誰か出てきていっぺん見たいです。だからどんどん出てきてくれてね、そやないとね、自分だけでやってたらね、後誰もせえへんかったら『曾根崎心中』という芝居、お初が死んでしまいますよ。
聞き手  7月2日から26日まで大阪の松竹座で藤十郎の襲名公演がございまして、襲名狂言の『夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)』以外にも『信州川中島 輝虎配膳』。息子さんとお孫さんの『連獅子』が昼にございまして、夜が仁左衛門さんの『一條大蔵譚』『京鹿子娘道成寺』を藤十郎さんが踊りまして、キリが菊五郎さんの『魚屋宗五郎』。顔合わせがなかなかいい、皆さんが共演されて盛り上げてくれるというのがいいですよね。
藤十郎  まあ、なんというてもお客さんに来てもらわないと続けられへんのですよ。楽しみながら皆さん出てくださるので、きっと盛り上がってくると思います。
聞き手  知らない方がいらっしゃったらお声をかけていただいて。東京は毎月歌舞伎が見られますけど、関西もそうなって欲しいですよね。
米朝  まぁね〜、南座と...
聞き手  数は増えたというもののまだまだそういう意味では...
藤十郎  いや、まだまだそれは。毎月歌舞伎が打てるようになればよろしいんですけどね〜。
米朝  どうもありがとうございました。
藤十郎  ありがとうございます。

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