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スペース 6月11日第59回
〜今週はゲストに桂小米朝さんをお迎えしました。弟子として米朝さんの長男として米朝さんへの思いを赤裸々に語ります〜
小米朝  宜しくお願いいたします。
聞き手  小米朝さんからみた米朝師匠を丸裸にしていただければと...
米朝  (笑)
小米朝  いや、いや、いや、いや、丸裸と言うか...
米朝  傷だらけの体で...
小米朝  (笑)
米朝  私は本当に傷だらけの体で、よう出術してる。体にメスを入れてるんです。
聞き手  そんなにおありになります?
米朝  ありますな。
小米朝  40(歳)の時に胆石、摘出手術を...
米朝  あれは大きな手術でしたな。
小米朝  痔の出術は?
米朝  それは二遍かな(笑)
小米朝  (笑)
聞き手  連続十八番の時のね、『地獄八景』の時に。
米朝  そうそう。
小米朝  うちの親父を語るのに分かりやすいのは、昭和の年号と年が同じですので、大正14年生まれですから、昭和53年の話言うたら53歳の時とはっきりするんでね。サンケイホールの十八番というのは1回目が昭和...
聞き手  昭和48年。
小米朝  昭和48年、48歳!? 今の僕の年や(笑)あ〜、辛い!! サンケイホールを6日間連続やらはったんですよ。超満員にして。僕1日公演でも必死やのに...。あの頃はサンケイホールで独演会やるなんて、はじめは考えられへんかったことでしたよね。
米朝  一回だけと言って吉鹿さんに口説かれてね。(詳しくは2006年2月18日を参照
小米朝  それで終わってから痔の手術をして...。僕はあの頃、中学3年か高校1年生ぐらいでした。それで見に行きましたよ。で、家まで車が迎えに来て...
米朝  そうそう、寝たままね。
小米朝  横になっていける(車)ね。所謂霊柩車みたいなやつですわな。
聞き手  寝台車!!!
小米朝  あ〜、寝台車。
米朝  あの時に終わって出る時にみんなが手を合わせてね、見送ってくれたんでね。白いハンカチ顔にかけて。
聞き手  シャレてますね(笑)
小米朝  でも無茶苦茶痛い時でも洒落っ気を出さなあかんのが芸人の性ですけども。でもあれ僕子供心に見てましたけれども、本当にしんどそうで、ありがたいことにうちの親父には親戚に医者がいまして、もう他界されましたが小林先生。その小林先生と看護婦さんが付きっきりで、それに舞台の際のギリギリの所に布団敷いて出番のギリギリまでそこに寝て...
米朝  いやあの、風呂入った。痔はなんと言っても風呂が一番ええな。痛みが止むしね。
小米朝  あ、そうですか。はぁ〜ん。それで一番痛みが出たのが『地獄八景』で、「脱肛のお百」とシャレをいってる時に...(笑)
聞き手  「妲妃のお百(だっきのおひゃく)」が「脱肛のお百」と(笑)
小米朝  あれで広まって、閻魔大王が七転八倒の苦しみやったと言う。もう「人呑鬼(じんどんき)」以上に本人は苦しみはったと言う。それを子供心に見てました。

聞き手  そういうお姿をずっとご覧になっていて、その時から将来は噺家になろうと思っていらしたんですか?
小米朝  どうなんでしょうね〜。迷ってましたね。落語は昔から聴いてたし、学校のお楽しみ会、文化祭言うたら「米朝さんの息子やったらやれるやろ」と言われて、「なんかやらなあかんねんな」という気で、僕も弟の透(とおる)、渉(わたる)もそれぞれ学校の文化祭ではやらされる口でしたから...。ま、やってるうちに「一人ぐらい」という気に...
米朝  枝雀がね、「そりゃ、一人はならなあかん」と言うてね。
小米朝  で、高校1年か2年の時に親父に「噺家になりたいんですけど」とこう言うたんです。
聞き手  ほう。
小米朝  結構緊張して、ためて言うたんです。ほんならすかさず、「ヤメとけ。お前話も下手やしな、喋りおもろないし。あのな、この世界はな、もう〜、明日が見えへんのや。せやからわしらの若い時は大学行きとうても行かれへんかった、とりあえず大学入って、出たらそうやな、え〜〜市会議員になったらええかな。市会議員になったら安定するやろ。後好きなことやれ」言うてね(笑)
米朝  そんなこと言うたか、俺は!?
小米朝  覚えてはれへんと思いますけど。ここまで具体的なことを高校生の息子に言うんですよ。中学高校やったら親父の言うことある程度は「あ、そうかな」と思うじゃないですか。「あ〜、俺は大学行って、市会議員にならなあかんのやなと」(笑)そう思い直して、大学行こうと思ったんです。で受験勉強始めて、たまたま英語が好きで、数学苦手やったから国公立あかんけども3教科で入れる私立をと、関西学院文学部が拾ってくれまして、入学したんですよ。で入学して噺家にならずに学生やるんかなと思うてたら、一つ上の米二兄さんが住み込みで内弟子に入って来はりました。僕は長男なんですけども常にお兄ちゃんがおられまして、「明くん、噺家にほんまになるんやったら大学出てからじゃ遅いで」と言うて(笑)米二兄さんは待って、待って、待って入った口やから。それで「そうやな〜。でも言うたんやけど反対されて...」てな話をざこば兄ちゃんと枝雀兄ちゃんが聞き出して、「それやったら俺らが言うたるがな」で枝雀兄ちゃんが「師匠、もう、こ、こ、この明くん、噺家にさせましょうな」と言わはって、ほんなら「まぁ〜、噺家の倅が一席も喋れんようでは、無粋なもんやし、よし、ほんなら一席だけ稽古します」と言うたんです。
聞き手  米朝師匠が?
米朝  へ〜、そんなこと覚えてへんわ、俺。
小米朝  ま、そりゃ〜そうでしょうけれども、僕はそういう所は自分の人生決まる所やから克明に覚えてまして、ほんならすかさず枝雀兄ちゃんが「ほんなら芸名決めましょ」と言いはったんです。
聞き手  ほぉ〜
小米朝  それから芸名決めるのを2時間がかりで酒飲みながら、あーや、こーや「米に何かつけたらええねん、朝に何かつけたらええねん。『小朝』は東京にあるがな。『小米』もあれやしな。で、無いな、無いな」言うて、決まった名前が『小米朝』なんです。

聞き手  小米朝は昔可朝さんが名乗ってはったんですよね。
米朝  あ、そうやったな。あれは自分で決めてやって来よったんや。
聞き手  小米朝になると。
米朝  うん、「小」が三画で「米」が六画、「朝」が十二画で、倍、倍、倍となってる。
小米朝  3、6、12で博打好きの可朝兄さんにはもってこいじゃないですか。だいたいは先代の林家染丸さんの所を破門されて...
聞き手  染奴でしたね。
小米朝  で、こっちに流れてきはった。
聞き手  米朝師匠によると、「あいつを世間に泳がしておくと危ない」と(笑)「やっぱり噺家の世界においておいた方がええ」と、で「うちに来い」と聞いてますが...
小米朝  それが僕がオギャーと生まれた時ですわ。
米朝  そうかな〜?昭和33年か?
小米朝  その頃やと思います。可朝兄さんに子守りされてることが多かったです。
米朝  ほ〜
小米朝  ですから僕はやがては、月亭可朝を襲名する方がいいんでしょうか?
米朝  さぁ〜(笑)
聞き手  (笑)なんと言うことを(笑)結局、何年に米朝師匠の所へ入門となるんですか?
小米朝  昭和53年。二十歳になる時ですね。その時点で僕は大学を辞めますと言うたんですけど、親父が「行っといたらどうや」と「わしらの時代は...」とまた始まりまして、中途半端になるなと思いながらギリギリの単位で卒業させてもらいまして、でも甘いじゃないですか。
聞き手  二足の草蛙ですものね。どうですか、入門されてお父さんが師匠になるわけですけれど、息子だった時の中川清と言うお父さんと変わるもんですか?
小米朝  周りの目を僕は気にしましたね。そういう意味で変わったかなと思います。逆に変わらなきゃならないと思ったし。「師匠宜しくお願いします」と頭を下げてやっていこうと思ったんですが、僕がそう思う以上に親父は意識してたんじゃないかな、つまりやりにくかったんじゃないかな思います。どうですか?
米朝  いや、それは、あの〜、後の枝雀、当時小米と朝丸(ざこば)という二人のいい兄弟子がおったからな、あの二人はちょっと変わってるさかいな、どういうことをいろいろ言うてたんかそれは知らんのやけどね。枝雀と言う非常に特殊な存在がおったということは良かったやろな。
小米朝  そうですね、まぁ〜僕は長男でありながら常にお兄さんが居てはったから、そういうお兄さん方に厳しくしていただいたから...時には厳しすぎるざこば兄さんも居てはりますが...
聞き手  (笑)
小米朝  厳しくしてくださったおかげで、何とか保って来たかなと思います。ほんとはうちの親父、やりにくかったと思いますよ。
米朝  それは案外、思わなんだな〜。よう聞かれたけどね。
小米朝  あの、一つにはみんなのお父さんでもあるんですよ。だから「師匠」という言葉には「先生」という意味の他に「お父さん」という意味がある。僕のそのように思っていて、だから今も中途半端に敬語使ってますけども(笑)

聞き手  子供のとき、噺家になるとか考えなかったときは、米朝師匠どういうお父さんでした?
小米朝  やっぱり偉大な人でしたね。世間一般のお父さんとは違う雰囲気がありましたね。ですからその頃から僕は特にちょい(ちょっと)敬語を使って、今のような丁寧語で喋ることがあたりまえでしたね。
聞き手  普段のお家の中でも。
小米朝  さようでございます。この時節、親子で敬語使こうてるのはうちとこと、皇室だけでございます。はい。殿下と呼んでいただいて結構です。
聞き手  (笑)それは別に誰に言われるわけもなくですか?
小米朝  そういう雰囲気です。やはり他のお兄さんが、「師匠、ご飯頂きます」とか「師匠、買い物行かしていただきます」と言う中で、「親父ちょっとこれとって」なんて言えないじゃないですか。で、常に原稿を書いている背中を見てたりとか、あまり多くは語らなかったですね。
聞き手  家でも喋らない方でしたか?
小米朝  酒飲まない時はね。結構寡黙でしたね。また僕が小学校、中学校、高校の時は、結構忙しかったですから、家に居るということも少なかったですね。
米朝  若い衆が仰山おったしね、所謂お兄ちゃんが仰山おったわけや。
小米朝  そうですね、当時の内弟子のお兄ちゃんとよく遊んでましたけど、父と遊ぶということは無かった。小学校で僕のお父さんという作文を書けと言われた時に、「僕のお父さんは朝寝て、昼起きて、夜仕事へ行きます」と書いて...
米朝  盗人や、言うた。
小米朝  先生が「まるで泥棒みたいですね」と赤で書いてあった。
聞き手  (大笑)えらい先生ですね、それ。シャレのきついと言うか(笑)

小米朝  旅行に一緒に行ったのは1回だけでしたから。
聞き手  どちらに行かれたんですか?
小米朝  覚えてはりますか?
米朝  九州やった...
小米朝  そうそう。南九州、宮崎、鹿児島、2泊3日全日空のパック旅行。
米朝  特攻隊が飛び立った知覧まで行きましたよ。
小米朝  双子の弟と僕と、父と母の5人で、水入らずで周りました。
聞き手  そういうとき師匠は機嫌ようになって、子煩悩なお父さんになるんですか?
小米朝  ずっと新聞読んでました。
聞き手  (大笑)
米朝  ようは、女房がこんなことでもなかったら行くことも無いやろうさかいと、やいやい言うてね、お膳立てして...
小米朝  親子ってそんなに毎年1回あれせなあかん、これせなあかんて、せんでもいいんじゃないかと思ったりして、親子って多くを語らんでも背中見てたら分かるしとも思いますね。
聞き手  米朝師匠に大きな声で怒られたということは?
小米朝  日常の生活ではそんなに怒ったことは無かった。
米朝  内弟子連中にもギャンギャン言わん方やったと思う。
小米朝  一番恐かったのは稽古ですね。この時はギャンギャンです。
聞き手  一番最初に付けてもらったお稽古は?
小米朝  一門皆一緒です。『東の旅の発端』ですね。
聞き手  『叩き』ということですね。どのネタの時に一番怒られました?
小米朝  すべて。
聞き手  すべて!!!
小米朝  僕は劣等生でした。「ほんまにお前は覚えが悪いな」今の10倍ぐらいの声でバンって。ほなら他の米二兄さん、勢朝君、米平君、まぁいっぱい横で聞いてて、そりゃ恥ずかしいじゃないですかみんなの前で罵声が飛ぶわけですから。優秀なのは千朝、吉朝。「はい、よう覚えとるな。今日はそういうことにしとこ。次、小米朝」と言うた途端に!×▲□?...............................................................。今ブースの向こうで聞いてる勢朝君、君どっちやった?
聞き手  あ〜
小米朝  僕より劣等生やったらしいです。
米朝  覚えが悪いと言うか、取りが遅いね。
小米朝  もちろんテープレコーダーも無く、聞いて目の前で覚えると言うことなんてやったこと無いので、焦るんですよね。ですから言うたら一部の人を除いてみんな劣等生だったですね。3ヶ月叩きのめされるんですね、それがやっぱりありがたいですよ、今となっては。あれが無かったら我慢強い人間にはなられへんやろうし、なにくそとも思われへんやろうし、少々アクシデントがあっても立ち直ることが出来へんやったろうしというような気がしますね。ただ、今我々が下にそれをやれと言われたって、そこまで出来るようなご時世でもないし、なかなか自信無いから、そういう意味でうちの親父は偉大だなと。米團治師匠の魂を受け継いでおられるなと本当に思いますね。
米朝  稽古というのはね、うちの師匠もそうやったけども、タイミングと雰囲気があって、そういう機運になっていく時とどうしてもならん時とあるわね。けど、あんな稽古はもう、あれから5年6年経ったらでけんようになってしもうた。小米朝より下の連中にはあんな稽古はしてないと思います。
小米朝  やっぱり体力がいることですし...
米朝  本当に体力がいる、精神力もいる。

聞き手  稽古を付けるというのは、つけられる方よりずっと大変なんですね。
米朝  稽古をすることでこっちも勉強になる。
小米朝  そうそう。落語の稽古はとことん厳しいのに、あれだけ罵声を飛ばしてた人が、「今日はこれで終わりや。ちょっと一升瓶出せ」で、酒盛りが始まるんですよ。そうすると今までそこでとことん怒られてた、小米朝、勢朝、米平というメンバーがですね、コップ酒飲まされるんです。今まで厳しい人がそんなこと忘れて切り替わり、芸談の話になっていく。ニコニコと歌舞伎役者の思い出の話になっていくとか、あれは見事に切り替わりましたね。
米朝  そうやったかな〜
聞き手  芸談がはずむと夜遅くまで飲んでらっしゃるんですか?
小米朝  それは今でも変わりません。
聞き手  あら、今も変わらないんですか、師匠?
米朝  今、飲まれへん。
小米朝  ま、放送上は...
聞き手  (笑)
米朝  いや、いや、本当に飲めんようになったな。
小米朝  そうですか。飲んだことを忘れるということもありますから、この頃。81を迎えるとなりますとね、“まだらボケ”ということがありまして、そんで「わしは飲まれへん」ということだけ覚えてて、飲んだという事実を忘れるんですよ。
聞き手  あ、ほんとは飲んでるのに。
小米朝  「わしゃ飲まれへんのや、医者から止められてるしな」と言う台詞は覚えとるんやけど、その後にグゥーッと飲んでるという行為を忘れはるんですよね。で、朝、目を覚ましたら「全然飲んでへんのや」と言うて、一升瓶が転がってるんですよ。
聞き手  (笑)
小米朝  ね?
米朝  ちょっと前の話やな、それは(笑)
聞き手  でもお相手すること多いんでしょ?
小米朝  もう、この相手をさしていただくと、最近のことはまだらなのに10代の記憶だとか、20代前半の記憶がなんでこんなに残ってるんかというぐらい、つらつら出てくるんです。この間も「昔の『湖水渡り』を聞きながら覚えた」というんで、つらつら言い出しはりましたもん。
米朝  あれは10代に覚えたからね。
小米朝  今でも言えます?
米朝  (ここで『湖水渡り』を披露)そういうことは10代に覚えると忘れへんねん。
小米朝  今でもつらつらでしょ、これ酒飲んだらもっとつらつらですよ。
聞き手  はい、はい。
小米朝  う〜ん
米朝  いや、いや。

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扇子

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