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スペース 5月28日第57回
〜今週は食文化の研究で名高い、国立民族学博物館名誉教授の石毛直道さんをゲストにお迎えしました。聞き手は大阪ABCテレビのプロデューサー市川寿憲です〜
米朝  とにかく人間が食べて死なないものというのが分かったら、何でも口にして試みるということになってますけど...
石毛  そうですね、まぁ元々食い意地が張ってる...
米朝  (笑)そう言うてしまえばそれまでやけど、危険を感じたということはございませなんだ?
石毛  ゲテモノを嫌がる人は沢山いますが、そういう意味であんまり抵抗無いんですよ。我々日本人にとってのゲテモノ、蛇だとかワニですね、キリン...、キリンは食べてないな...
米朝  (笑)
石毛  シマウマとかそこの人が食べるものは一応食べる。だけどそれに対する抵抗感より、食べる時これはちょっとかなわんなと思うのは、むしろ衛生の問題なんですよね。
米朝  食品とか危険とかそうじゃなしに。
石毛  ええ。屋台で何かこう真っ黒な食い物を売ってる、夜だからなんだか分からない。で「これくれ」と言って手を差し伸べたら、ハエが飛んでいって、それで真っ黒になってたんですね。そんな話でいったら中国の雲南州、少数民族の家でごちそうになったんです。一番最初に豚の生き血をどんぶり鉢に入れて「これをぐっと飲め」と...
米朝  はぁ〜
石毛  私は昔日本民族の起源をウィルスで明らかにしようというプロジェクトでお医者さんと一緒に研究していたものですから、ウィルスの恐さを知ってるんです。それで一番危ないのが血液なんです。口の中に傷があったりしてそこから感染する可能性があります。ただ血というのは大変栄養に富む食べ物ですから、血を食べる習慣は隣の朝鮮半島までは入っています。中国は動物を殺したら血に塩を入れて固めて豆腐みたいにする。ヨーロッパは血のソーセージなんてのがあります。ただそういったのは熱を加えて食べますから心配ないんです。だけど生き血というのはずいぶんヤバイ食い物でして...
聞き手  へぇ〜
石毛  まず生き血を飲ませるというのは私が主賓だったんで、「お前さんのために豚を一頭殺しましたよ」という印に飲ませるわけです。ですからちょっと美味そうな顔をして飲まなきゃなんないというようなことになったりします。
米朝  ほぉ〜、なるほどね。
聞き手  それをお飲みになって大丈夫だったんですか?
石毛  ええ。私が若い頃はお医者さんのいないような村に何ヶ月も暮らすことが多かったんで、日本を出る前にお医者さんに抗生物質を貰って(出かけるんです)それで滅多に飲まないようにして、これはどうもヤバイなと思ったら、まず正露丸を飲んでダメだったら抗生物質を飲むということで、まぁ、今の所、現地で大きな病気をしたこともないですね。
聞き手  そういう生活はどのくらいお続けになっているんですか?
石毛  例えば東アフリカですとタンザニアの奥地の村に8ヶ月いたとか...。まぁ、我々の仕事はその社会全体を見ます。そうすると年中行事などもあるし、理想なのは一つの場所に1年間いることですね。
米朝  やはり熱を加えて食べるというのが多いですか?
石毛  それはもう多いです。生のまま食べることを立派な料理に仕上げたのは世界の中でも日本だけでしょうね。
米朝  はぁ〜、なるほど。
石毛  例えばお隣の中国。中国料理で師匠、生のものって食べた記憶がありますか?
米朝  いや〜...、前もねそんなこと言われたんですけどね、野菜でもあんまり生で食べませんね。
石毛  中国で生で食べる野菜は1つだけあります。トマトですね。トマトをスライスして、砂糖を沢山かけて、これが食事の時の前菜ですね。あとはサラダ菜の葉っぱに豚肉のそぼろだとかそういうのをくるんで食べる習慣があります。それぐらいで漬け物以外は中国でもまず生では(食べません)中国の古代ではけっこう生ものがあったんです。例えば孔子さんは論語の中で「なますは綺麗に切ったものでなければいけない」と書いてある。「なます(膾)」という字は中国の漢字では「月」偏に「合」と書きます。日本では「魚」偏に「合」と書きます。魚偏のなます(鱠)は「国字」と言って、どうも日本で作った字らしいんです。中国は膾を肉で作ってたんです。生肉を糸切りなんかにして生のまま食べる。もちろん魚でもやったわけで、ちょっと前まで中国、広東省や福建省では魚の刺身があったんです。中国は海岸線がたいへん短い国土ですから、魚といったらだいたい淡水魚です。淡水魚だと寄生虫がありますから、革命後にそれが禁止されました。ですから中国流の魚の刺身は台湾と、中国人が主になって作り上げた国家のシンガポールに残っています。
米朝  ほ〜。
石毛  シンガポールでは春節(中国の正月)になりますと、海の魚の刺身が出てきます。これは食べる時に広東風だと羊のしゃぶしゃぶと同じように、唐辛子やニンニクや酢、あるいはシャージャンといってアミの塩からの汁から作った醤油、パクチーなどを自分で調合して食べます。福建流は基本的に山桃をジャム状にしたもので食べます。刺身を甘いジャムで食べるというのはどうも我々の味覚には(笑)
米朝  醤油はないんですか?
石毛  ありますが、福建流の主なものは山桃のジャムですね。で中国の歴史でいいますと、時間が経つにつれて生ものを食べないようになるんです。宋の時代あたりから鉄の鍋が普及するんです。そうすると土器で作った鍋みたいに壊れやすくないですから油さえあれば何でもいためて食べるようになりました。魚に関しては元の時代、これはモンゴル人が作った王朝で、モンゴル人は魚を食べませんから魚が下火になる。次の王朝、明で一度復活しますが、清の時代になるとほとんど生ものは食べなくなりました。

聞き手  石毛先生は米朝師匠と非常にご懇意にされている印象があるんですが、出会いのきっかけは?
米朝  なんかの番組で会ったような...
石毛  ええそうです。「ハイ土曜日です!」という番組で。その前からこの番組のレギュラー小松左京さんとは仲が良かったんで誘われて、準レギュラー的に出ていました。
聞き手  昭和40年代ですよね。ですからもう40年...
石毛  いつも師匠とご一緒の時はお酒を飲んでますね(笑)
米朝  何も番組で飲むわけやないですけどね(笑)今度どこそこに面白い店があると言うて、お互いに誘ったりして。ですからどうしても飲み食いはついてますわ。
聞き手  そういう時はどんなお話をなさるんですか?
石毛  それからもう一人小松左京がよくいますから、もうどこへ話が行くか分かりません。
米朝  それでね、ポイポイ飛ぶでしょ、話題がね。あれがじつに面白いんですよ。

聞き手  元々石毛先生は落語もお好きだった...?
石毛  ええ、二十歳の頃、京都へ。ま、大学へ来たんですが、それまでは関東(千葉の生まれ)の育ちで、物心ついたのが終戦ぐらいです。その頃の田舎の娯楽といったらラジオしかないわけです。子供ながらに面白かったのは滑稽な番組で、「日曜娯楽版」だとか、落語でした。ですが全部、江戸落語でした。私は東京の上野高校という所を出まして、これは上野公園のはずれにあって、そこからちょっと歩くと鈴本の寄席がありました。小遣いを貯めてはしょっちゅうそこへ入り浸っていたわけです。
米朝  あれ、その時分の寄席はなんぼぐらいだったかな?
石毛  映画に行くか寄席に行くかというぐらいの値段ですから...
米朝  ほぼ一緒ぐらいやったかと思うんですけどね。
聞き手  昭和30年ぐらいですね。
石毛  そうですね。でまぁ京都に下宿をしてましたので、はじめは富貴と言う新京極の(寄席に行きました)それから上方の落語はどんなもんだろうと、大阪へ時々来て吉本のとか(見ましたが)全然馴染めなかったです。で、また漫才主流だったし...。どうも江戸落語に慣れてしまうと背伸びをしてて、滑稽にゲラゲラ笑わせる噺よりも人情噺の方が上等だという、何か変な固定観念が...
米朝  いや、いや、それは落語会でもお越しになったらやけど、寄席ではちょっとでも笑いの多い(ネタを)という態度でしたからな。
聞き手  また大阪の寄席は大きいですから...
石毛  とっても大きいし子供がギャーギャー言ったりですね(笑)
米朝  そうです。行儀が悪い。
石毛  関東のしんみりとしたのと大分雰囲気が違う...。しばらくして、上方落語は面白くないという固定観念が(出来てしまいました)それで10年ぐらい上方のお笑いと全然縁がなかったんです。関西に来て10年ぐらい経って、これが思い出せないんですが、師匠が京都のどこかでやった会があるんです。そこへ何の気なしに入ってたら、ビックリするぐらい面白くて面白くてしょうがなくなってしまいました。結局考えてみたら、師匠の噺は上方の言葉に取っ付きにくかった人間にも入りやすいし、その10年間で私が上方が分かるようになったと、特に言葉が...。例えば「かんてき」は七輪、「いかき」はザルのことだとか。それで師匠の噺をきっかけに上方のお笑いが面白くなって、そうなるともう止め処無くなって...。ですから師匠に最初にお会いする前から、大阪で誰かに会うとしたら、米朝師匠に会いたいなと思っていたんです(笑)
聞き手  先生は昭和12年のお生まれで、32年ぐらいに関西に来られて、そこから10年ぐらい...、昭和40年ぐらいに米朝師匠の落語に会われたと。ネタは何をやっていたか覚えていますか?
石毛  その時は米朝独演会でですね、「地獄八景」をなさいました。早くからチケットを取って京都から大阪に行ったんです。サンケイホールに入ったらですね、ガランとして誰もいないんです。よくよく聞いてみたら1ヶ月早く来てしまったんです。それで1ヶ月後にまた行きました。
聞き手  それほど待ちこがれていらっしゃった。
石毛  この噺(地獄八景)をされると大変体力を使うと...
米朝  ラストの方になってくるとあれは体力がいります。大きな声も出さなならんし、一服する所がない噺やからね。若いさかいやれたんや。1時間以上かけてやったんやからな。またそうなるとそれが売り物になってしまって、つまんだり、適当に時間を調節するとお客が喜ばんわけですわ。
石毛  長い間あんまりやる人がいなかったネタを復元される時はどのように?
米朝  あれはね、文の家かしく〜笑福亭福松という名前になってお辞めになたんやけども、この人が京都の、ある趣味の会で「地獄八景」を全篇やるということで聴きにいったんです。
石毛  これは文字では残っていなかった。
米朝  ないです。
石毛  それでまぁ〜、そこに師匠がその時々の面白いギャグを沢山入れて、一番笑うのは地獄の寄席で上方落語をやってる所や、亡くなった師匠たちの名前が出てきて、そこに「桂米朝」と書いてある。よく見ましたら「近日来演」と書いてある。あれは笑いますね。
米朝  あれはウケましたよ。
聞き手  あのギャグは米朝師匠がお作りになり、付け加えられたんですか?
米朝  う〜ん、前もあった気もするんですけどね、あの「近日来演」の所はバカウケでしたな。
聞き手  待ってて分かってるんですけ、笑ってしまいますね。

石毛  実はですね、昨日、パリで大きな学会があって基調講演を行って帰ってきたばっかりなんで、ちょっと時差ぼけがあるんです。12時間ありますから本を用意していったんですが、行きの飛行機で全部読んじゃったんですよ。帰りの飛行機ですることなくて、ただそういうこともあるかと思ってですね、iPodに米朝落語全集が全部入ってるんです。それを帰りの飛行機でずっと聞いていました。そうすると周りの外国人のお客から変な顔をされてましたね、一人でニヤニヤしてるし...(笑)それでまた「地獄八景」を聴いて「近日来演」の所で思わず口に出して笑っちゃったんです。
米朝  (笑)
石毛  周りの人に怪訝な顔で見られてね(笑)やっぱり落語というのはですね、一人で聴くもんじゃない、生で、沢山のお客さんと一緒に笑うもんだなと分かりました(笑)
米朝  そりゃみんな、変なおっさんと思ってみてたんじゃないかな(笑)
石毛  ついでにその学会での話を。フランスの学会でしたが1時間喋らなくちゃならない。でまぁフランス語はダメだし英語で喋る。ところが私はそんなに英語が流暢じゃないんです。ですから外国で発表する時は喋る内容を原稿にして、イギリス人やアメリカ人の知り合いに読んでもらって、テープに入れてお稽古するんです。お稽古しながらこれは噺家さんがおさらいをするのと同じだなと思って(笑)あれは聴いてるだけじゃダメで、小さい声でもブツブツ言わないといけないし、噺家さんのネタ繰りも同じなんですか?
米朝  それは人によってやり方が皆違います。私はあんまり声に出さないんです。中には本当に気を入れてね、お客を前にやってるようにする人もあります。
聞き手  声に出すのは亡くなった枝雀さんが阪急電車で窓の方を向いて、だんだん大きな声になって、周りが誰もいなくなったと言う。
米朝  枝雀は道を歩きながら(自分の世界に)入ってしまうんです。だんだん大きな声になるんでね、巡査が後からつけてきたとかね。乳母車にうちの双子を乗せて...
聞き手  内弟子時代ですね。
米朝  押しながら夢中になってしまう、噺の世界に入ってしもうてね、子供が泣いていようが、おしめが濡れていようがそんなことは平気なんです。
石毛  (笑)

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扇子

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